寛容は人心を掴む【伝統文化】

人は間違いを犯すものであり、皆欠点を持つものです。寛大な心で他人を許すのは一種の美徳であり、そうすれば、憎しみを溶かし、悪縁を解き、敵を友に変えることができるのです。

荘王は、ある夜、臣下たちを宴に招きました。皆が心ゆくまで酒を飲み、多くの者が酔いつぶれました。宴もたけなわの頃、正殿のロウソクが風によって吹き消されます。するとその隙に、ある臣下が王妃の服を引っ張ったのです。
王妃はすぐさま、その者の纓(冠のヒモ)を引きちぎり、荘王にこう言います。「ロウソクが消えた隙に、私の服を引っ張った者がいます。私はその者の冠の房を引きちぎりました。ロウソクを灯しさえすれば、それが誰だかすぐわかります」。

すると、荘王は、「私と酒を飲むのに、冠をはずさないとは何事だ」と言って、皆に冠をはずさせたのです。荘王はそこでロウソクを灯し、先ほどと同じように、臣下たちと心ゆくまで酒を飲みました。

後に、楚の国に、戦のたびに先陣を切って戦い、敵陣に攻め入って敵兵を打ち破る者がいました。呉国が兵を挙げて楚の国を攻めてきたときにも、敵の将校の首を討ち取って荘王に献上したのです。荘王は不思議に思い、その臣下に、「わしはお前をそこまで大事にした覚えはないのに、何ゆえこれほどまでに尽くしてくれるのだ」と尋ねました。

すると、その臣下は、「以前正殿で纓(冠のヒモ)を無くしたのは私です」と答えました。
あの宴のとき、その臣下が酒に酔って無礼を働いたにもかかわらず、荘王は寛大な心で、それを咎めることはありませんでした。彼は、それをずっと深く心に留めており、荘王の寛容な振る舞いに報いるために、身を呈して敵を退けたのです。

荘王はこのように、寛容で思いやりのある心を持ち、他人の些細な過ちを咎めなかったことから、ついには大業を成し遂げ、春秋五覇の一人となりえたのです。