韓信――兵仙(1)高い志を持つ【千古英雄伝】
「不滅の軍神」として知られる韓信は、楚漢の覇権争いにおいて間違いなく最も有名な主人公でした。 5年で、彼は漢王朝が世界を征服するのを助け、秦王朝末期の英雄間の紛争の混沌とした状況を終わらせました。英雄は乱世から生まれると言われていますが、韓信の登場は偶然ではなく、10代の頃から常人とは違う言動、野心を示していました。
韓信の最古の記事の記録は、当然のことながら最も近い年代では『史記』です。著者の司馬遷は、この偉大な英雄をよりよく理解するために、故郷の淮陰(わいいん)県に個人で行き、彼についての話を人々に尋ねています。
『史記』によると、韓信が平民だった頃、彼は公務員として選出されることもなく、自分を養うための商売をすることもできずにいたといいます。彼の家はとても貧しく、他人の家に行って物乞いをし食事をしていました。そのこともあり、近所の人たちにとても迷惑がられ、彼の評判は良くありませんでした。部外者の目からは、怠惰な韓信が、どうして軍事的天才とみられるようになったのだろうかと疑問に思います。
関連記事
漢字は実におもしろい。「忍」という字をよく見てみると、「心」に「刃」が刺さっているではないか。痛いはずだが、刺されている心は安定していて、まったく動じない様子。痛さを我慢するという「忍耐」ではなく、痛ささえも感じない、心が動揺しないことこそ、本当の「忍」の境地であり、古人がこの字で私たちに伝えたかったことかもしれない。
長い歴史において名を残した人物が、幼少の頃は貧しかったり、虐められたりして苦を嘗めたという逸話がたくさん残っています。彼らはこれらの苦労があったからこそ鍛えられ、偉大な事を成し遂げられたのかもしれません。今回は、韓信という人物の物語を紹介します。
戦国時代の末期、割拠していた諸侯国に取って代わり、秦の始皇帝は天下統一を果たしました。しかし、始皇帝は在位三十七年、巡行中に沙丘(訳注:現在の河北省邢台市広宗県)で急逝しました
一時の我慢で波が静まり、一歩引き下がれば世界が広々と開ける 「小さな不寛容は大きな混乱をもたらす」「忍は高く、 […]