なぜ日本人を惨殺 通州事件の裏に共産主義者の暗躍

なぜ通州の保安隊が日本人を襲撃、それも非常に残虐な殺し方をしたのだろうか。

通州事件の原因については、事件の数日前に日本の爆撃機が通州保安隊を誤爆したことや、日本人や朝鮮人が通州を拠点としてアヘンを販売していたとして中国人が怒りを感じて行ったなど、様々な説がでている。

誤爆に関しては、日本軍の責任も否めないが、テクノロジーが進んだ現代でも発生し、不可抗力の部分がある。日本側は事件後、速やかに遺族の弔問など行い、騒動はおさまっていたとされている。(慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件)

アヘン取引については、当時、日本はアヘンを専売しており、莫大な特許料収入を得ていた。当時、中毒者は中国全土に存在し、日本は国際連盟の委員会の調査を基に、アヘン中毒者を徐々に更生させるという阿片漸禁政策をとっていた。

しかし、アヘン取引きをしていたのは日本だけではなく英、仏の列強国、ひいては中国国内の軍閥、国民党も取引しており、中国においては通貨的な扱いをされていたという。(「阿片と中国史」譚璐美 著) こうした背景から見るとアヘン取引が日本人を狙い虐殺する理由としては疑問が残る。

これほどにまで残虐に日本人を狙って殺したのは、他に何か意図があったのではないだろうか

通州事件が起こった1937年頃の中国は、日本に対峙するより中共(中国共産党)を警戒していた蔣介石が率いる国民党と毛沢東が率いる中国共産党が、「抗日」の名の下に手を結んだ、いわゆる「第二次国共合作」が成立してから間もない頃だった。

しかし、この国共合作が成立する2年前から、軍隊レベルで国民党と中国共産党が通じていた記録が残っている。

通州を襲った保安隊の隊長の張慶余が執筆した自伝には張慶余が1935年ごろ、日本軍と対峙していた国民党軍の将軍、宋哲元に密かに接触し、抗日のため密かに宋に従うことを誓った事、また通州事件で日本人を殺害したことはその誓いを果たしたものだと記している。

また張慶余は、通州に駐在していた日本の特務機関長との軍事会議で、宋哲元からの攻撃にいかに対処するかという議題に、分散している保安隊を通州に集結させる提言をし、快諾を得ていた。(慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件)

そして事件の日、この集結した保安隊は、200人足らずの日本人部隊を蹴散らし、通州の民間の日本人を襲った。これらの資料から通州事件は計画的な事件だったことが伺える。

そして、この保安隊と国民党の動きの裏で中国共産党が暗躍していた。

産経新聞によると、河北省唐山市の機構が運営するサイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで公表された研究を引用し、

「河北省周辺での(抗日)地下活動を統括した共産党北方局の下で、『黎巨峰(れい・きょほう)』、『王自悟(おう・じご)』という工作員が、通州事件の2年前、1935年の通州におかれた冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築」していたことを明らかにしている。

張慶余への工作を進めた共産党北方局は、後に中国共産党の国家主席となる劉少奇が華北地区の抗日工作を主導していた。少なくとも通州保安隊は通州事件が発生する2年も前から、中国共産党に通じていたと言うことになる。

中国共産党は結党当時から、世界の共産主義化を目指すコミンテルンの顧問を呼び、世界的な国際共産主義運動の主導の下、様々な工作を行っていた。

日本の対中外交の専門機関「興亜院」はこうしたコミンテルンの動きを把握していた。極秘資料「コミンテルン並に蘇聯邦の対支援政策に関する基本資料:盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令」によると、コミンルンは中国共産党に対して

1「日本との局地解決は避け、全面衝突に導くこと」

2「あらゆる手段を利用し、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺すること」

3「下層民衆を煽動して、国民党政府を対日戦争開始に追い詰めること」

4「対日ボイコットを拡大し、日本を援助する国はボイコットで威嚇すること」

5「紅軍は国民政府軍と協力(第二次国共合作)する一方、パルチザン的行動(正規の軍隊ではない武装勢力で、外国勢力の侵略に対し抵抗する戦い)に出ること」

6「共産党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵士及び大衆を獲得し(人民戦線戦術)、国民を凌駕する党勢に達すること」

など日本と中国との対立を煽る指令を出していた。

ソ連には実権を握っていたコミンテルンを使って日本軍の矛先を中国へと向けさせたいという思惑がある。反共産主義のナチスドイツが当時、大いに勢力を伸ばしていたからだ。

そのような視点から見てみると、保安隊が通州城で日本人を探し、あれほど酷く虐殺したのは、日本人を激怒させ、日本を対中戦争に駆り立てるためだったと考えると納得が行く。

通州の悲劇は当時、マスコミの報道合戦を呼び、結果、日本国内では「暴支膺惩(ぼうしようちょう:横暴な中国を懲らしめよ)」というスローガンが叫ばれ、こうした声の高まりは、それまでソ連の南下を警戒し、日中戦争に消極的だった日本を中国との戦争に踏み入れさせることになった。

そして日本は、コミンテルンの敷いたレールを辿り、盧溝橋事件、通州事件、上海事変、南京攻略と日中戦争の泥沼に嵌っていった。

米国のジャーナリスト、フレデリック・ウィリアムスは「中国の戦争宣伝の内幕」(1938年)で当時の中国の状況を冷静に観察している。

「虐殺は日本を激昂させるだろう。面目は立たない。日本人虐殺は、日本との戦争になるだろう。蔣介石も戦わざるを得なくなる」

中国共産党の本質を暴露した「共産党についての九つの論評」の【第七評】中国共産党の殺人の歴史には、「共産党はなぜこれほど殺戮を好むのか? 共産邪霊はその最終目的を果たすために、殺戮を通じてこの世で恐怖の場を作っている。共産党は殺戮を研究し尽くしており、その作用を最大限に発揮させている」と記されている。

(完)

大道修
社会からライフ記事まで幅広く扱っています。