豆腐は語る 京都の職人に息づく「信」と「智」

京都の街には、まだ夜が明ける前から、すでに明かりが灯っている場所がある。

豆腐屋である。

京都御所の近く、古い町家が立ち並ぶ路地に、「入山豆腐店」という店がある。

文政年間――1818年の創業以来、店内に掘られた深さ約7メートルの井戸から地下水を汲み上げ、その水で豆腐を作り続けてきた。

その井戸の水は、京都の「都七名水」の一つとされている。

二百年もの間、
同じ井戸の水で、
同じ豆腐を作り続けてきた。

なぜ、そこまで井戸水にこだわるのだろうか。

答えは、とても単純である。

豆腐は、水の味を語るからだ。

大豆、水、にがり。

材料は、わずか三つ。

ごまかせるものは、何もない。

良い水を使えば、良い豆腐になる。

手を抜けば、そのことを豆腐がそのまま語ってしまう。

明治39年(1906年)創業の「平野とうふ」もまた、京都の豊かな地下水を使い、添加物に頼らず豆腐を作り続けてきた。

その豆腐は、食に厳しかった北大路魯山人にも愛され、豆腐嫌いだったという白洲次郎さえ、その味を好んだといわれている。

そうして百年以上、豆腐を作り続けてきた。

入山豆腐店が一日に作るのは、豆腐50丁と油揚げ20枚ほどである。

50丁。

大量生産しようと思えば、できないわけではない。

機械を導入すれば、何百丁と作ることもできるだろう。

しかし、そうはしない。

店主はこう語る。

「京都の中心部は道が狭く、大型スーパーが入りにくい。効率は良くなくても、近所の人たちのために店を続けることが大切だと思っています」

効率は良くなくても。

この言葉の中に、すべてが詰まっている。

こうした精神は、一軒の豆腐屋だけに息づいているのではない。

日本で作られる、さまざまなものの中にも生きている。

世界各地から日本を訪れる人々が持ち帰るのは、単なる土産物だけではない。

有田焼、美濃焼、伊万里焼などの陶磁器。

包丁やはさみをはじめとする刃物。

外国人を引きつけているのは、その芸術的な美しさだけではない。

道具としての品質と、長く使い続けられる耐久性にも魅力がある。

とりわけ日本の包丁は、海外のプロの料理人にも愛用者が多く、その品質は世界に知られている。

一本の日本の包丁を、
一生使い続ける人もいる。

安いからではない。

その刃物を作った人が、

豆腐を作る職人と同じような心で、
自らの年月を、その一本に込めているからである。

外国人が日本の伝統工芸品を選ぶ背景には、日本文化や美意識、そして職人の技が凝縮された、日本ならではの価値への魅力がある(Shutterstock)

外国人が日本の伝統工芸品を選ぶ背景には、日本文化や美意識、そして職人の技が凝縮された、日本ならではの価値への魅力がある。

彼らが買っているのは、
単なる「商品」だけではない。

その手仕事の背後にある精神まで、受け取っているのである。

なぜ、「日本製」は信頼されるのだろうか。

品質保証書があるからだけではない。

認証マークが付いているからだけでもない。

日本には、古くから受け継がれてきた一つの感覚がある。

自分が作ったものは、自分そのものを映し出す。

手を抜けば、製品に表れる。

心が入っていなければ、使う人には伝わる。

安い材料でごまかしても、
いつか誰かが気づく。

だから、職人はごまかさない。

見つかるのが怖いからではない。

人を欺くことは、まず自分自身を裏切ることだからである。

孔子は「信」について、こう語った。

「言必信、行必果。」

言ったことは必ず守り、
行うと決めたことは、最後までやり遂げる。

豆腐職人は、誰かと特別な約束を交わしているわけではない。

店の看板に、

「二百年間、同じ井戸」

と大きく掲げているわけでもない。

ただ毎朝、同じような時間に起き、

同じ井戸から水を汲み、

同じように豆腐を作る。

その繰り返しが、

やがて言葉のない「信」となっていく。

そして、そこには「智」もある。

儒家が説く「智」とは、
単に多くの知識を持っていることではない。

自分が何をなすべきかを知ることである。

一日に50丁だけ作る。

井戸水を使う。

添加物に頼らない。

機械だけに頼らない。

それは、知らないからではない。

選んでいるのである。

何を捨て、
何を守るべきなのか。

それを知る人だからこそ、
二百年続くものを作ることができる。

世界中から人々が日本を訪れ、

一本の包丁を求め、
一つの器を求め、
一丁の豆腐を求め、

喜んで列に並び、待つ。

なぜそこまで惹かれるのか、
本人たちにも、うまく説明できないかもしれない。

それでも、感じるものがある。

その品物の中に、「人」がいる。

豆腐は、正直である。

良い材料を使えば、味に表れる。

丁寧に作れば、それも表れる。

手を抜けば、すぐに分かってしまう。

豆腐とは、
それを作る人の心を映す鏡でもある。

だから職人は、

まだ誰も見ていない夜明け前から、
変わらず丁寧に仕事をする。

誰かが見ているからではない。

豆腐が、すべてを知っているからだ。

あの包丁も知っている。

あの器も知っている。

あの漆器も知っている。

日本のものづくりが世界から信頼される理由。それは、機械だけではない。技術だけでもない。そのものを作る人の心の中に、「信」と呼ばれるものがあるからである(Shutterstock)

日本のものづくりが世界から信頼される理由。

それは、機械だけではない。

技術だけでもない。

そのものを作る人の心の中に、

「信」と呼ばれるものがあるからである。

二千五百年前、
孔子はそれを言葉にした。

そしてその精神は海を越え、

この地で、

今も生き続けている。

林道悟
日本の日常に宿る美と、東洋の生活の知恵を発信するコラムニスト。