【北京の街角から】大柵欄

2006年09月08日 08時00分
 【大紀元日本9月7日】北京の街はかつて、城壁に囲まれていた。明、清時代の皇帝の住まいであった紫禁城(今の故宮)を周囲20キロほどの城壁で四角く取り囲み、その中を内城と言った。内城の南側には、庶民が暮らす外城が広がり、下町として賑わいを見せた。とりわけ、内城の前門そばにある大柵欄には色町もあり、商店や茶館、演芸場がひしめく一大繁華街であった。1900年の義和団事件で一度は焼け野原になったものの、すぐに復興され、今でも17世紀創業の漢方薬店・同仁堂やお茶の名店・張一元茶荘、明代から続く漬物店・六必居など「老字号」と呼ばれる老舗が軒を連ねている。
お茶の老舗、張一元茶荘(2003年夏撮影、大紀元)


大柵欄の入り口(2003年夏撮影、大紀元)



 ところが、最近久しぶりに足を運んでみると、大柵欄一帯は、シートが張り巡らされ、建物が重機でバキバキと取り壊されていた。そのあたりに古くから雑然と並ぶ住居を全て取り壊し、道幅を広げ、新たな大柵欄を作り直すのだという。「老字号」も、その多くが一旦取り壊され、新たな区画の中に建て直されるそうである。

 古くから代々そこに暮らしてきた人々は、立ち退きを余儀なくされた。どの家も狭苦しく、下水設備も十分に整っておらず、表通りの賑やかさとは裏腹に、今では「貧民窟」とまでいわれるその地域での暮らしは決して満足できるものではないが、人々は再開発後、そこに帰ることはできず、かといって、住み慣れた北京の街中に新たな住まいを構えられるほどの立退き料ももらえない、といった問題も起きているようである。

 長い年月をかけて自然に発展してきた街だからこそ、そして日々そこに暮らす人々の活気ある生活臭があるからこそ、味わいのある街に仕上がってきたのである。それを一旦全て取り壊して作り直したとしても、果たしてどれほど魅力的な街に仕上がることであろうか?

(懐旧)


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