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母のくれた飴

 【大紀元日本2月28日】いたずら盛りでワンパクだった私は、よく生傷が絶えなかった。私が泣いて母にすがり付くと、母はよく飴を私にくれ、「飴を舐めれば痛みなんてふっとぶよ、さあ泣かないで!」と言った。飴を口に含んだ私はそれで喜び勇み、また遊びに夢中になったものだ。

 大学卒業時、二年間交際した彼女が別の男に走ってしまい、私は精神的な泥沼に陥って抜けだせなくなっていた。私は失意のどん底に突き落とされ、母に「ああ、この傷に効く飴があったらいいのに!」と言った。

 ある週末の早朝、私は一本の電話で目が覚めた。それは母からだった。昼ご飯の弁当を家に忘れたので、勤務先の病院まで持ってきてほしいというのだった。母に言われたとおり、私は入院病棟三階の外科病室に行ってみたが、母はいなかった。その病室は手や足のない病人ばかりで、私はとたんにどうしていいかわからなくなった。すると小さな女の子が、母が私に4階の416号室へ行くように言っていたと教えてくれた。この子も片方の足がなく、私は心理的な動揺を隠せなかった。かわいそうに、こんなにきれいな子なのに。

 四階は、火傷を治療する皮膚科だ。416号室に行ったが、やはり母はいない。病室内の異様な患者の面容に、私は全身総毛立った。窓辺に寄り添うように立っていた全身大火傷の患者が、私に510号室に行くようにと言った…。

 510号室に行ってみたが、やはり母はいない。私の声を聞きつけて、両眼を摘出した十歳位の女の子が寄ってきて無邪気に、「おばちゃんがお兄ちゃんに、この廊下の突き当たりにある倉庫に来るよう言っていたよ…」と言う。

 果たして倉庫の扉を開けてみると、母がそこに座っていた。私はやっと合点がいった。母はわざと私を病室に行かせたのだ。

 私は心に傷を負っただけだ。私にはまだ健康な身体があり、自由に歩行もできるではないか!

 どんなに問題が多かろうとも、全て解決しうるものだ。しかし、多すぎると人は往々にして立ち往生し易く、前途に希望を失ってしまう。

 心の傷に効く飴はほかでもなく、自分の心の中にあるのだ。

(明心ネットより)

 (07/02/28 20:41)  





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