中国の宮廷舞踊、唐朝時期(その1)

【大紀元日本2月18日】中国の宮廷舞踊は、魏晋・南北朝と隋朝の宮廷舞踊の基礎の下、唐朝で空前絶後の繁栄を呈し、そのピークを迎えた。唐朝時期の宮廷舞踊は種類・様式の多様さ、分類の細かさ、技巧の高度さにおいて、それまでの歴代王朝のものとは比べものにならないほどに発展・成熟した。

まず、その種類の点から見て、唐朝の宮廷での宴席用の舞踊だけでも「九部伎」「十部伎」「坐部伎」「立部伎」「健舞」「軟舞」「大曲」「歌舞劇」「百劇」などがある。

唐朝の初め、宮廷舞踊の主要な内容には、「九部伎」と「十部伎」があり、それらは隋代の「七部楽」の基礎の上に制定されたものである。

『旧唐書・音楽志』の記載によると、「高祖の即位後、享宴では隋代の旧制によって、「九部の楽」を用い、その後、「立部」と「座部」の2部に分れた」とある。

唐朝の杜佑が著した『通典』の記載によると、「凡そ大燕(宴)の会では、「十部の伎」が設けられ、中外に備えられた。一日目は「燕楽伎」、2日目は「清楽伎(又の名を清商楽)」、3日目は「西涼伎」、4日目は「天竺伎」、5日目は「高麗伎」、6日目は「亀茲伎」、7日目は「安国伎」、8日目は「疏勒伎」、9日目は「康国伎」、10日目は「高昌伎」であった。

「燕楽」は、中原漢民族の伝統的な舞楽で、場面は広大で、雰囲気はにぎやかである。内容は主に、皇帝を賛歌し、繁栄を祝福するものであり、「破陣楽」「慶善楽」「景雲楽」「承天楽」の四つの舞楽を含んでいた。

「清楽」もまた、漢から魏晋南北朝を経て伝えられてきた中原漢民族の舞踊であり、「白紵舞」「巴渝舞」「佛舞」「前渓舞」「鞞舞」が含まれる。それらの一部は、祭祀の時に舞われた舞踊であったが、それらもまた宴席にも用いられた。

「西涼楽」は甘肅一帯が発祥の舞踊で、漢、晋の舞楽と西域の舞楽が融合したものである。代表的な舞踊は「獅子舞」だ。「天竺楽」と「高麗楽」はともに、外国の舞踊であり、前者がインドから仏教の伝来とともに入ってきたもので、仏教の舞楽だ。後者は、古代朝鮮が発祥のもので、芸術性の非常に高い舞踊である。

「亀茲楽」「安国楽」「疏勒楽」「康国楽」「高昌楽」は全て西域から来たものだ。西域舞踊の特長は、リズムが速く、跳躍感があり、舞う姿が斬新なことだ。「亀茲楽」には、頭を振る、流し眼を送る、指をはじく等の動作があり、今でも、ウイグルやウズベクなどの少数民族の舞踊の中にはこれらの特徴が残されている。

「康国楽」はまた「胡旋舞」とも称され、グルグルと風のように回転する舞だ。

「九部伎」「十部伎」の基礎の上に、唐の玄宗の時分に、宮廷舞踊は「立部の伎」と「坐部の伎」とに分別された。

前者は通常、宮中の広間で演じられることはなく、規模も比較的小さく、演目は比較的優雅であるのに対して、後者は通常宮中で行われ、規模は広大で、気勢と見栄えを重んじた。白居易はかつてこう書いている。「堂上の者は座し、堂下は立つ……立部は賎しく、坐部は貴し。坐部は立部の伎、鼓や笙の楽、雑劇に退いた。」

『旧唐書・音楽志』の記載によると、「現在の立部の伎には、「安楽」「太平楽」「破陣楽」「慶善楽」「大定楽」「上元楽」「聖寿楽」「楽聖楽」の八部がある……坐部の伎には、「宴楽」「長寿楽」「天授楽」「鳥歌万寿楽」「竜池楽」「破陣楽」の六部がある」という。

立部の伎の「安楽」は、北周時代の舞楽を継承したもので、その並び方が四角く城郭のようであったことから、北周時代には「城舞」と称された。舞い手は80人おり、みな犬の口、獣の耳の木製のお面をつけ、金色の装飾品で飾り、紐を垂れて髪とし、猰の毛皮の帽子を被っている。舞踊は、胡舞の風格が具わっている。

「太平楽」は「五方の師子舞」とも呼ばれる、多くの演者で演じられるもので、唐代の著名な舞踊である。

「破陣楽」は唐の太宗が創った、太宗の武功を称賛するもので、舞い手は120人からなり、舞踊はステップが激しく、声韻は伸びやかである。

「慶善楽」もまた、唐の太宗が創ったものである。舞い手は64人で、主に太宗が文徳によって天下を統治し、天下が安泰したという思想を表している。舞踊は緩やかで上品だ。

「大定楽」は、「破陣楽」から生まれた、高宗の時分の舞楽である。舞い手は140人からなり、遼東を平定し僻地を鎮圧したことを象徴している。

「上元楽」は高宗が創ったもので、180人の舞い手からなる。舞い手は色とりどりの雲衣を纏っており、元気を象徴していることから、「上元」と称され、道家の色彩を具えている。

「聖寿楽」は、高宗の武后が創ったもので、舞い手は140人からなる。舞踊の並び方は絶えず変化して、変化するごとに人文字を形成し、16個の字を作って終わる。この16個の字とは、「聖超千古、道泰百王、皇帝万年、宝祚弥昌」である。

「光聖楽」は玄宗が創ったもので、80人の舞い手からなる。「上元」「聖寿」の雰囲気を持っており、玄宗を賛美する舞楽である。

「破陣舞」から後は、「皆が太鼓を打ち鳴らし、雑は亀茲之楽によって、声は百里を振るわし、山谷を揺るがす」。「大定楽」では楽器の金鉦が加えられた。ただ「慶善舞」だけが西涼楽を用いて、最も上品だ。

「破陣」「上元」「慶善」の三つの舞はまた、祭祀祖廟の際に演じられた。「破陣」は武の舞であり、「七徳」と称した。「慶善」は文の舞であり、「九功」と称された。後に、武則天が即位した後、唐の太廟は壊され、上述の祭祀の礼は有名無実なものに変わった。

坐部の伎の中の「宴楽」には、「景雲楽」「慶善楽」「小破陣楽」「承天楽」の四部が含まれており、全て唐代の輝かしい業績を賛美する舞踊である。

「長寿楽」は、武則天の時代に創られた舞踊で、皇帝を祝寿する内容となっている。

「天授楽」は、武則天が即位中に創った舞踊で、主に武則天の功徳を讃えるものであった。

「鳥歌万寿楽」もまた、武則天の時分に創られた舞踊で、三人が鳥に扮し、武則天に対する崇拝の気持ちを表現している。

「竜池楽」は玄宗が創ったもので、舞踊は上品で優美である。

「小破陣楽」もまた、玄宗が創り改編したもので、戦闘生活を表現した舞踊である。

「長寿楽」以下はすべて亀茲楽を用いており、舞い手はみなブーツを履いている。ただ「竜池楽」だけは雅楽を用いており、鐘の磬は無く、舞い手はそろりそろりと踏んで舞う。