勇者たちを見捨ててはならぬ! 其の二
1936年、ベルリン五輪のときである。
女子200メートル平泳ぎの決勝で、日本の前畑秀子選手が、ドイツのゲネンゲル選手との壮絶な闘いを制して見事に優勝した。以来、NHKラジオの「ガンバレ前畑!」のアナウンスを張り付けた白黒フィルムの映像は、日本全国の映画館で上映され、長く日本人の網膜に固定化された感動の場面となった。
一流のアスリートが日々積み重ねる練習の厳しさは、昔も今も変わりない。だからこそスポーツは美しく、見る者に大きな感動を与える。
まして前畑選手の時代には温水の屋内プールなどはなく、氷の張りそうな真冬には、やかんのお湯を身体にかけながら猛練習を重ねてきたという。その鬼気迫る凄まじさは、もはや常人の想像を絶している。
今日からすれば、国威と国威のぶつかりあいという20世紀の五輪のありかたに批判はあるだろう。前畑選手も、本当に「負ければ死ぬ」覚悟であったという。
それから72年後の北京。北島康介選手が同じ種目で金メダルを獲り、日本のテレビは今朝からこのニュースに湧いている。
アスリートの栄光と、スポーツの素晴らしさに水を差すつもりは全くない。
ただ、そればかりに熱狂して他のことは知らないで良いのかという忸怩たる思いが、この北京五輪にはつきまとうのである。
1933年1月、ヒトラー率いるナチス党が、熱狂するドイツ国民の支持を一挙に集め、きわめて「民主的に」政権を奪った。
そしてその時から、ドイツ国内にいた52万人のユダヤ人に対して、強制退去させるなど迫害が始まっていたのである。
それが後の第二次大戦中に、ヒトラー・ナチスが占領地下で「民族浄化」のために行なったユダヤ人大虐殺、すなわちホロコーストへとつながっていくことは言うまでもない。
そのナチスによるベルリン五輪の本質を、人々は知らなかった。
あるいは、知っていたとしても黙認してしまった。それが後の人類にとって、大きな禍根を残すことになった。
そこで問う。
今日の私たちは、「中国共産党五輪」の恐るべき本質をどれだけ認識しているか。
頭痛を覚えるほど粉飾された「平和とスポーツの祭典」の蔭で、無数の罪なき人々が犠牲になっている事実に目を向けず、メダルの数に一喜一憂する危うさを自覚しているか。
大紀元8月7日の中国語ネットに、次のような記事が出た。(原題「奥運失自由 人権聖火北京伝」記者名、古清児)
「五輪開幕まであと一日となった7日、江蘇省から陳情に来ていた趙雲庚さんが警察に連行された。また、六四天安門事件で障害を負った斉志勇さんも公安当局によって外地へ連行されたまま、十数日間も連絡がつかなくなっている」
取材に当たった大紀元記者が、何度も電話をかけたところようやく連行された趙雲庚さんに通じたが、趙さんは一言「ありがとう。でも、わしの自由はもうなくなったよ」と言ったきり電話は切れたという。