流行語で読み取る激変の中国(1)

【大紀元日本8月16日】

プロローグ

中国最古の詩集「詩経」は、その内容や作者により「風」、「雅」、「頌」に大別される。貴族的な「雅」と祭祀的な「頌」に対し、「風」は庶民的なものである。「詩経」は中国詩歌の母体であり、後にはさまざまなバリエーションに展開されていったが、その「風」は中国流行語の濫觴と見なされている。

歴史を振り返ってみればわかるように、各時代にはその時代なりの流行語があり、それらは一般的に俗文化として民間で口承されていた。始皇帝時代の「秦を亡す者は胡なり」や明末の「闖王を待ち望みに待ち望むや、闖王が来れば食糧を納めないのだ」などが、それの代表的なものと言えよう。

「詩経」でもそのひな形が見られたように、中国の流行語にはたいてい、以下のような特徴が挙げられる。第一、つねに時代や地域に即したものである。第二、純文芸的で興味本位の政治離れのものがあってもほぼ傍流であり、その主流はつねに激動する時代の矛盾や支配者と被支配者との悖反を反映するものである。第三、その創作と流行のテンポも時代の実態に比例している。第四、時代や地域により流行語の形式が異なり変貌変容するものの、「詩経」のように韻を踏むことや対仗を保つことや、そして「賦」、「比」、「興」という修辞法をもって創作するなどが一貫して継承されている。

建国60周年を迎えている共産中国。改革開放政策を実施して30年も経った。もしその60年を2分すれば、次のような特徴が見える。前の30年間は、共産主義のものをどんどん推し進められ、よって中国の伝統文化が度重なる革命運動によって次第に衰微していった。後の30年間は、一辺倒的な改革開放によって人々の私欲が大きく煽られ、官僚腐敗や道徳堕落や人性喪失などは日増しに深まり、中国の伝統文化や伝統的価値観はより一層風化してきたものである。

むろん、中共の党文化浸透政策は、国民抵抗や反発を招いた。改革開放実施して以来、とりわけ近年来、中国の社会構造や秩序や価値観はますます捩じれ激しく異変している。一方、インターネットの普及やグロバール化に伴って、国民の自己意識も高揚しつつある。しかし、激変しつつもなお民主・自由が縛られる中国において、自覚した国民にとって、新語・流行語の創造および使用が有効なストレス発散の一方式であるのみならず、圧制反発の絶妙な武器ともなっているのである。それゆえ、激動している中国では、新語・流行語は毎日のように大量に生産、消費され、それはもはや多様多彩で独特な流行語文化を呈してきたのである。歴代の流行語と相通ずる特徴があるほか、激変中国の流行語にはいかなる特異性があるのであろう。これについては、エピローグで締め括ってみようと思う。

もし激動している今の中国を垣間見ようとするならば、直観的で立体的な流行語が間違いなくその一助になれるであろう。これも、激動中国の流行語を紹介する主旨の一つである。シリーズ「激動中国にも奇妙な流行語」を通して、読者の皆様には中国人の文字遊びや大衆文化の粋を味わいつつ中国の社会現状や国民の精神感情を少しでも認知していただければ幸甚である。