英国バイリンガル子育て奮闘記(7)
就学前(1989~1992年) 「ポチはシロなの」
童話の読み聞かせは言語の発達に欠かせない。幸いなことに、ロンドンに滞在していた先輩が日本に帰国することになり、良い絵本をたくさんいただいた。おかげで就寝前の日本語での読み聞かせを習慣化することができた。また、日本の母にも童話を送ってもらった。最初は『赤ずきんちゃん』や『おやゆびひめ』といった西洋の童話ばかり届いたので、日本にしかない日本の童話を中心に送ってもらうようお願いした。アニメシリーズの小さめな本が当時ちょうど書店に出回っていたようで、 童話の残酷な部分は全て削除されて、軽いタッチになっていた。「なるほど、子供に恐怖心を与えないように、今の日本ではこうなっているのか」と納得した。
現代風にかなりアレンジされた日本の童話でも、やはり口伝えに受け継がれてきた表現は残されていて、日本語としてしっくりする。読み聞かせていくうちに、日本の童話は日本語で読むのが一番ということがわかってきた。とにかくリズムがあるのだ。例えば、「早く芽を出せ柿の種、出さぬとハサミでちょん切るぞ」(さるかに合戦)。イギリスの環境保護者に意味だけ翻訳して聞かせたら、発刊禁止にしてしまうかもしれないが、子供に読み聞かせると、一緒に小躍りしてくれる。日本語特有の七五調なのだ。
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なんの機縁か、英国南西端のケルト系の地、コーンウォール州の片田舎で一人娘アン(仮名)の子育てをすることになった。夫はイギリス人。日本企業は皆無。日本人といえば、国際結婚をした女性が数名。こんな環境で、私は日本語だけ、夫は英語だけを娘に使用するという、バイリンガル子育てが始まった。言語に留まらず、日英の文化の根本的な違いを痛感させられる18年間だった。
英語より日本語の方が,幼児語が多い気がするのは、私が日本語で生まれ育ったせいだろうか。英語では、大人の会話通り幼児に語りかけるが、日本語では、幼児に対しては幼児語を使う。たとえば、「だっこ」は、英語で「pick me up」。
娘の日本語環境は、母親の語りかけとビデオ程度だった。テレビ漬けにならないように、「マミーの言葉の映るビデオさんが疲れちゃうからね」と、30分たったら、バスタオルをかけてビデオさんにおねんねしてもらっていた。耳から入る日本語が限られている状態で、娘が自分で文法を構築していることが分かってきた。
離乳食が始まるとハイチェアに乗せて、1日3回、365日、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を繰り返して聞かせることになる。なるほど、これだけ定期的に同じ音を耳にしていれば、どんな言語も定着すると一人で納得していた。
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