【東北再興】消えない傷跡(5)地域の再生

【大紀元日本12月16日】宮城県の石巻は、最悪の津波被害に遭った町の一つだ。町のほぼ半分が水没し、さらにひどいことには、人口16万人のうちの2万人を雇用していた漁業や加工業の200社はもはや存在しなくなった。

地方紙・石巻日日新聞の報道部長・武内宏之さんは、町の復興に最も必要なことは仕事だと語る。

新聞も苦労を抱えている。津波以来、広告依頼が60%減となり、これまでの8ページの日刊を4ページ(土曜は6ページ)にせざるをえなくなった。

それでも同新聞のアンケート調査によると、回答者の60%は現地に残り石巻を再建したいと答えている。「自然は時に牙を向く。それでも知恵を振り絞って自然と寄り添った生き方を選んでいる」と武内さんは語る。

再建の発想は1カ月前から大きな進展をみせた。当初は以前通りの町の再建が目標だったが、現在はさらなる高みを目指している。

「どの人も生まれ育った町を懐かしんでいる。しかし同時に過疎化や高齢化で仕事も年々減っていたことなどの問題が災害の前からあったことも分かっています」と武内さんは説明する。津波前の数十年間、東北地方は過疎化、高齢化、投資の欠如に苦しんでいた。

石巻市では、1階を駐車場とするビル建設の構想が話し合われた。また政府が提案する、魅力に欠ける高さ7メートルの津波防止壁の設計に替わるものを考案している者もいる。

これらの発想に関して、他の自治体とも話し合っているのか尋ねたところ、武内さんは、首を横に振った。幾つかの隣接自治体とは話しているが、それ以上には及んでいない。

「みんな自分たちの町のことで手一杯」と率直に語る。「市の行政も一生懸命努力している。でも効率的な復興のためにはどうしても国の支援が必要」 

他の多くの東北の人々同様、武内さんは、国の対応が遅すぎることに批判的だ。もうじき冬が来る。被災者は助けが要る。しかし国会はいまだに予算を討議している。被災者は、補償、常設住宅の計画、雇用という大きな問題に関する国の決定を待っている。

「これからどうしたら良いか困っている人が大勢いる。自分の家もなく仕事も失った人がわずかな補償金を使いきったらどうしたらいいのか」と武内さんは、やり場のない質問を投げかけた。

(続く)

(記者・シンディ・ドルーキエ現地取材協力・こだま たくや翻訳・鶴田)