【漢詩の楽しみ】 夜雨寄北(夜雨、北に寄す)

【大紀元日本10月14日】

君問帰期未有期
巴山夜雨漲秋池
何当共剪西窓燭
却話巴山夜雨時

君は帰期を問うが、未だ期有らず。巴山(はざん)の夜雨(やう)、秋池(しゅうち)に漲(みなぎ)る。何(いず)れか当(まさ)に、共に西窓の燭(しょく)を剪(き)って、却(かえ)って巴山夜雨の時を話すべし。

詩に云う。あなたは(手紙で)私がいつ帰ってくるかと問うてきたが、まだ帰れる時はこないのだよ。私のいるこの巴山のあたりには、今、夜の雨が降りしきり、秋の池の水がみなぎっている。ああ、あなたと一緒に西の窓辺に寄り添い、燭の芯を切りながら、巴山夜雨の寂しかった時を思い出して語らえるのは、いつの日になることだろう。

晩唐の詩人、李商隠(りしょういん、813~858)の作。進士に及第したが、政情不安定な晩唐にあったため不遇の生涯を送った。

題名「北に寄す」の北は、都の長安を指す。この時、作者は四川省の巴山にいて、都にいる女性に思いを寄せるという設定で詩をつづっている。雰囲気から想像するに、この女性は作者の妻ではなく、どうも密やかな相手のようだ。

興味深いのは、この一首をそれに含めても、いわゆる恋愛詩が漢詩という文学ジャンルには少ないことである。確かに漢詩は、男同士の友情や別離、あるいは宇宙観ともいえる雄大な風景を表現する一方、男女の恋愛は作例として決して多くはない。

それと対照的なのが我が国の和歌で、こちらは恋歌だらけといってよい。ただ、それも無理からぬことで、和歌における恋愛は、いわば贈答という一種のあいさつであり、儀礼でもあった。

寒さと寂しさが身にしみる秋の夜の雨。池に水がみなぎるさまは、その悲しみが満ちる心象を表しているだろう。しかし、そんな寂しい今宵のことさえも、いつの日か、二人ともに燭の芯を切りながら夜長のつれづれに語り合いたいという。

漢詩のなかの恋愛詩としては、確かに秀逸である。

(聡)