【大紀元日本10月23日】9月28日早朝、ニューヨークの空は厚い雲に覆われ、どしゃぶりの雨が降っていた。ところが、「全世界中国料理コンテスト」がスタートする11時直前になって、会場となっていたマンハッタンのタイムズ・スクウェアの空は次第に明るくなり、正午にはどんよりとした雲が消え、陽光も照り付け、世界各地からやってきた観光客が次々に会場に集まってきた。

今年で5回目となる新唐人テレビ局主催の全世界中国料理コンテストは、アジア太平洋地区ならびに北米地区の予選を経て、9月28日に決勝が行われた。コンテストは、中国料理の五大流派と言われる四川料理、淮揚料理、東北料理、山東料理、広東料理の各流派ごとに調理技法が競われた。いずれの流派も、選手は自分の得意とする料理一品と当日指定される料理二品を制限時間内に調理しなければならない。

自らを高める機会

今回のコンテストで、各流派を通じて唯一金賞を授与された陳依春さんに話を聞いた。

陳依春さん(写真・戴兵)

四川料理の部に出場した陳さんは、オーストラリアからの参加で、今年3回目となる。1回目は四川料理の部で優秀賞を獲得し、翌年銀賞に選ばれ、そして今年金賞に輝いた。調理技法が年々上達している証しであり、このことに関し、陳さんは次のように話す。

「この種の国際的なコンテストは、参加するたびに、多くのものを学ぶことができる。加えて、他の人の技を観察し、彼らと交流することによって、気持ちが穏やかになり、技が自ずと高まる」。「コンテストが終わると、いつも自分の足りなかった点や欠けているものを探し出し、教訓を学び取るようにしている。今年の成績が上がったのは、そのおかげかもしれない」

同コンテストは、中国料理の豊かな奥深さを再現すると同時に、その調理技法を互いに切磋琢磨することによって、世界の人々に中国料理の特徴をよりいっそう認識してもらい、中華飲食文化の貴重な宝を守り伝承していくことを願っている。

陳依春さんも、新唐人テレビ局がシェフたちにその機会を提供してくれたことに深く感謝している。「この機会を通して、さらに多くの中国人に、中華伝統文化の発揚が大切だということを伝えたい」

穏やかな平常心で

審査委員長を務めた曲運強氏によると、このコンテストで求められているのは伝統料理であるため、参加者にはしっかりした基本的技能が要求される。さらには、各流派の歴史的変遷と技法にも熟知していなければならず、そうしてはじめて、その流派の料理の純正の味を表現することができるのだという。

「また、すばらしい料理を作ろうと思えば、気持ちが穏やかでなければならず、決して焦りの心があってはならない。つまり、平常心があってはじめて平常でない料理が作れるのである。それを私たちは求めている。もし作った料理が“生き生き”としていれば、それは、必ずや他の人を超える技や心持ちや智慧があったからだろう」

飲食業界も注目

主催者である新唐人テレビ局の李_zhong_総裁によると、今年5回目となるこのコンテストの名声が高まるにつれて、飲食業界関係者も注目するようになった。

例えば、今年、ジェームズ・ビアード財団と共同で、貧困学生が中国料理の調理技法を学べるように奨学金が設立された。同財団は、アメリカ料理界における最も権威ある団体で、「ジェームズ・ビアード賞」は、アメリカ料理界のアカデミー賞とも称される栄誉ある賞である。その財団との協力で奨学金が設けられたということは、同コンテストが高い評価を受けていることの証しであろう。

同財団の総裁、スーザン・ウンガロ氏は、「中国料理レストランの数はマクドナルドより多い。内陸の小さな町から東西海岸の大都市まで網羅しており、アメリカ文化に大きな影響を与えている」とし、新唐人との協力で、タイムズ・スクウェアで純正の中華調理文化を広める機会を持てたことを光栄に思うと語った。

また、コンテストの影響力の拡大につれて、各種提携の申し込みも増えた。

中国料理で使う醤油の製造・販売で28年の経験を持つマレーシアの会社「美儸廣興」は、伝統的製法で製造している自社の醤油を同コンテストに提供している。

同社にとっては、コンテストが世界的に注目を集めるにつれて、自社製品の販売をグローバルに展開するのに戦略的な作用を果たすことになると考えている。

「シェフたちが、世界の都ニューヨークのタイムズ・スクウェアという多様な文化が集まる場所で、自社の醤油を使って伝統的な中国料理を作れば、わが社の製品が正統であるというブランドを打ち立てることができる」

この他、コンテストの決勝前日には、同じくタイムズ・スクウェアで特別企画「西洋人名シェフが中華鍋に挑戦コンクール」が行われ、東西の文化交流を促進し、中国の飲食文化に対する西洋人の理解を深めることができた。

全世界中国料理コンテストは確実に自らのブランドを確立しつつあるようだ。

(文・陳天成、翻訳編集・瀬戸)