【漢詩の楽しみ】春日憶李白(春日、李白を憶う)

【大紀元日本1月1日】

白也詩無敵 飄然思不群
清新庾開府 俊逸鮑参軍
渭北春天樹 江東日暮雲
何時一樽酒 重与細論文

白也(はくや)詩、敵無し。飄然(ひょうぜん)として思(おもい)群せず。清新(せいしん)は庾開府(ゆかいふ)、俊逸(しゅんいつ)は鮑参軍(ほうさんぐん)。渭北(いほく)春天の樹(き)、江東(こうとう)日暮(にちぼ)の雲。何(いずれ)の時か一樽(いっそん)の酒を、重ねて与(とも)に、細かに文を論ぜん。

詩に云う。白さん、あなたは詩にかけては天下無敵。飄然としていて、その詩の心は、常人の群れから抜きんでている。あなたの詩は、清く新しいことにかけては北周の庾信(ゆしん)のようで、才能の俊逸さは、南朝宋の鮑照(ほうしょう)のようだ。今、私は渭水の北の地にあり、こうして春の木の下にいる。そしてあなたは、長江の東で、日暮れ時の雲を見ていることだろう。ああ、いつの日か、あなたと二人で一樽の酒を酌み交わし、また一緒に、つぶさに詩文を論じ合いたいものだ。

杜甫(712~770)の作。杜甫がここで「白也」と呼びかけているのは、もちろん大詩人・李白である。このとき杜甫は35歳ぐらい、李白は46歳であった。

通常、年長者に対しては字(あざな)をつかうもので、親か師しか呼べない名前で呼びかけることは極めて異例である。杜甫は、その異例を承知でつかっているわけだが、それは李白に対する杜甫の並ならぬ親しみの表現である以上に、詩人・李白の名声を、天下と後世に刻み込む高らかな宣言であった。

中国文学史上の巨星である李白と杜甫は、当時、ともに不遇のなかにあった。

この2年ほど前に初めて会った二人は、その年齢差を越えて詩文を語り合う親友となる。しかしその後、杜甫は科挙に及第せず苦労を重ね、李白も宮廷から遠ざけられた。そんな失意のなか、思いがけず洛陽で再会した李白と杜甫は、約2年間、二人肩を並べて各地を放浪するのである。(本連載は今回で終了します) 

 (聡)