佛様とその弟子たちの物語(大紀元)

【佛家物語】 輪廻転生(四) ー殺生は冥界まで巻き込むー

【大紀元日本6月23日】銭塘地区の金某は精進料理を食べ、殺生をせず、非常に敬虔だった。亡くなった後、彼の霊はある子供の身に乗り移り、次のように言った。「私は善業が足りず、浄土には行けなかったが、今冥界では大変楽しく過ごしており、行き来するのも自由だ」

ある日、金某は自分の妻を叱った。「なぜお前は私の墓前で鶏を締め、それを食べているのか?おかげで人に監視され、以前のような自由はなくなった」

息子の嫁が妊娠し、家族が金某の墓前でそれを報告した。すると、金某が夢の中に現れ、「1人目の息子を生む時は無事だが、2番目の息子を生む時は、母子ともに死ぬ」と言った。家族はみな不思議に思っていたが、その後、すべてが適中した。

周氏按は次のように言った。「佛と阿難(釈迦の十大弟子の一人)が川岸を歩いていると、500の餓鬼が歌ったり踊ったりしながら楽しく前方に歩いて行くのが見えました。阿難が『これはなぜですか?』と聞くと、佛は『彼らの子孫が彼らのために福を修め、間もなく解脱できるので、歌ったり踊ったりしている』と答えました。続いて500の良い人が泣きながら歩く様子も見えたので、阿難は聞きました。『これは、なぜですか?』佛は、『彼らの子孫が彼らの供物のために殺生をし、福を修めなかったため、まもなく火あぶりにされるので、泣いている』と答えました。俗人は愚かで、供物のために殺生をし、魚と肉が祖先のためになると思っているが、これこそ親族に害を及ばしているのである」

覚えておいてください。殺生して先祖の供養をしてはなりません。

清・周思仁の『安士全書』より

(翻訳編集・李正賢)

関連記事
釈迦牟尼はマガダ国に遊化していた時、王舎城の北にある迦蘭陀(からんだ)竹林精舎に住んでいました。 ある日、当地で有名な歌舞団の団長が竹林精舎を訪れました。釈迦牟尼に礼儀をした後、「以前、芸能界の先輩方から、『芸能人が人前で懸命に演技をして、人々を楽しませ、人々を笑わせれば、その因縁で芸能人は死後、極楽浄土に生まれることができる』と聞いたことがありますが、これは本当でしょうか」と敬意を持って釈迦牟尼の見解を謹んで尋ねました。
目犍連(もくけんれん)は、釈迦仏の十大弟子に列せられており、修煉過程の中で優れた神通力を持っています。今日は目犍連に関する伝説をお話ししようと思います。釈迦仏は教えを説き伝えているとき、人間の空間にある弟子だけでなく、他の空間において、多くの生命が聞いていました。仏陀が説法している際、声が次元を越えて、一定範囲内の宇宙空間において、全ての生命が聞こえます。
彼はまた息子のラーフラに会いに行きました。釈迦牟尼を見たラーフラは「お父上!?父上は私が生まれた後すぐ行ってし […]
私たち日本人は、なんとも「不思議な国民」のようです。 クリスマスやバレンタインデーの前には、それに便乗した商業 […]
釈迦牟尼の帰還 王子は修行を始め、さまざまな教えを学び、瞑想、苦行などを経て、6年経った36歳のとき、菩提樹の […]