香港紙、民主派コラムを閉鎖 北京の威嚇に屈服か=NYT

【大紀元日本9月4日】香港金融業界の専門家、民主活動家・銭志健(エドワード・チン)氏によると、彼が9年以上執筆し続けていたコラムが2日、突然新聞社側から閉鎖された。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)などが伝えた。

北京当局が香港民主派を排除した直接選挙の導入発表2日後、香港紙・信報財経新聞(信報)が銭氏のコラムを閉鎖したという。

銭氏は、香港金融業界の有力なヘッジファンドマネジャーであり、積極的に香港の民主化運動を支持し、香港の「民主戦士トップ10」の一人として知られている。

銭氏と支持者らは、この動きに、香港の報道の自由が直面している窮状に新たな打撃を与えた」と強調し、香港の政治やビジネス、メディアには北京からの圧力が重くなる一方で信報がその圧力に屈服しコラム閉鎖の決定を下したと疑問の声をあげている。 それに対し、信報は同コラム閉鎖は政治的決定ではないと主張している。

香港独立評論家協会は2日、同件に関する声明を発表し、「タイミングなどから見れば、政治的検閲を容易に連想させるもの」と大きな懸念を表明した。今年初め、銭氏は信報から「コラムは政治ではなく経済に関する内容を書くように」と警告された。そして8月30日夜、銭氏宛にコラム閉鎖の通知が突然届いた。

同協会はまた、中国政府や香港当局に「香港市民の民主化抵抗運動が自己利益ではなく、公義と正義を行なうもので、関連情報の伝達を妨げるのは人権や言論の自由に違反する行為になる」と述べ、香港市民の基本的人権への尊重と保障を呼びかけた。

一方、香港の汚職捜査機関・廉政公署(ICAC)は8月28日、突然民主派への政治献金をめぐって香港メディア「壱伝媒」やアップルデイリーの創業者・黎智英氏(67)などに対して家宅捜索を行った。当局は民主派に圧力をかけて強くけん制すると認識させ、民主派に対する政治献金提供者や支持者を威嚇して遠ざけようとしているとみられる。

信報(Hong Kong Economic Journal)は1937年に創刊され、香港初の金融ニュースを主とする権威のある中国語新聞であり、アジア富豪の首位、李嘉誠氏の次男・リチャード•リー(李澤楷)氏が設けたオフショア信託基金(Clermont Media Ltd.)に所属する。

(翻訳編集・王君宜)
関連記事
ほんの数年前まで私たちが知っていた文明が衰退しているように見えます。私たちが制御できる生活の側面があり、ここで誰もが変化の一部となることができます。
刀を奪われたサムライは、徒手空拳で明治維新の世に放りだされたのだ。日本政府の富国強兵と西洋文化の流入は、伝統を徐々に破壊しつつ、一方、その伝統に隠されていた秘儀を世に出すことになったとは皮肉である。 それらの背後にはまだ、世間に知られずにひっそり伝わってきた秘儀、武術の奥の手があった。それらが、戦後から今まで、徐々に世間に出て、その存在と秘儀の一部を世に知らしめるようになった。その一部が今回取材した大東流柔術光道である。
高市早苗の日本を思う気持ちの起原は父母の教えにあった。 日本の行く末を憂え、政治家が目標ではなく、日本を守り、日本を良くするための政策を作り、それを法として実現することに「徹底」しているという。 20代の高市早苗はどんな女性だったのか? 親の期待を裏切る道を常に歩み、バイト(家庭教師4件+飲食店バイト)で、学費を稼いで大学を出たという。また、ヘビメタのバンドで、ドラムスを楽しんでいたというのも、親が厳しかったので、反発したのだという。
母の塾の生徒のM君は、幼稚園のころから落ち着きがなく、いつもいたずらをして叱られていた。園長が、母のところに連れてきた。どうやら母親に問題があったらしい。母親のTさんが思い余って、児童相談所にM君を連れてゆくと、相談員がありとあらゆる玩具がいっぱい並べてある大きなホールにM君を連れていき、「どれでも好きなもので遊んでごらん」と言うと、M君は他のおもちゃには見向きもせず、真っ先に向かったのは砂場だったという。そしてセーターを脱いで砂場に入った。
亡き母は、一言でいうと、「教育マニア」であった。次姉が東京の大学に2校合格して、地方誌の合格欄に名前が載った時の母のうれしそうな輝いた顔は鮮明に覚えている。 戦争で苦労し、生家は没落、父も軍人だったため捕虜になり大変な苦労をした。一夜にしてお金は価値を失った。そして人間が身に着けるべき価値は、何か。それは「教育」であるという考えに至るのだ。身に着けた知恵や技術は奪うことが出来ないが持論だった。