【絵画鑑賞】宮廷で授業をする才女・班昭
中国後漢の時、班昭(はん しょう、45年 – 117年)という一人の才女がいました。彼女は当時の文豪・班彪(はん ひょう、3年 – 54年)の娘でした。班昭は才徳兼備で、漢の和帝によって数回に渡り宮中に招かれました。皇后や妃たちは彼女を師として、経史典籍を学びました。そのため「大家(昔の用法で、中年女性に対する敬称)」と呼ばれ、またはその夫の姓である曹を冠して「曹大家(そうたいこ)」とも呼ばれました。
班昭の兄・班固(はんこ、32年-92年)は「漢書」を書いていましたが、完成しないまま亡くなりました。班昭は博学で才能もあったため、漢の和帝は班昭が続きを完成するよう要求しました。班昭は見事「漢書」を完成させました。このほか彼女は「女誡(じょかい)」という本を著し、七つの方面から女性の立身処世や品徳、礼儀を論じ、その後の数千年に渡り中国で女性教育に大きな影響を与えました。
「曹大家授書図」は班昭が宮苑小閣で授業をする様子を描いています。画家金廷標氏は清代宮廷の絵師で、院体画の手法で写実的な絵画を残しました。
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