【紀元曙光】2020年8月28日

(前稿より続く)タウンゼントが著書のなかに書いたのは、主に1933年の中国である。
▼日本の昭和8年。その2年前に柳条湖事件を発端とする満州事変が勃発し、すでに中国東北部の全域が日本軍に制圧されていた。1932年3月1日、その地に満州国が建国される。
▼清朝の廃帝を玉座につけたものの、当時の日本がつくった「新しい国」であるから、それを認めるか否かは、各国それぞれの立場がある。南京に首都をおく中華民国にしてみれば、軍閥がはびこる東北部まで実質的な統治は及んでいない。だが、建前上は自国である一部を切り取られてしまったので、これは認められない。
▼当時、中国共産党はまだ瑞金などの山中にいて、蒋介石の国民党軍に攻め立てられていた。今の中共政権にすれば、日本人が造った建物はちゃっかり使いながら、満州国が立派すぎたことと、敗戦国でありながら先に経済発展を遂げた日本への嫉妬心から、歴史上の満州国を認めたくない。彼らはこれを「偽満」と呼ぶ。
▼前段で、筆が少々走りすぎて、筆者の憶測を書いてしまった。ただ、毛沢東による「日本軍が中国を侵略したおかげで、我々は学ぶことができた」という趣旨の「謝意」は、訪中した日本の社会党系団体に対する社交辞令ではなく、ちらりとこぼした毛の本音であっただろう。
▼タウンゼントに話を戻す。彼が外交官として中国に滞在していた時期は、まだ日中の全面戦争には突入していないものの、日本の中国大陸に及ぼす影響が増大しつつある頃だった。中華民国としては、将来の対日戦を想定して、何としても米国の助力がほしい。(次稿へ続く)