張又俠失脚の舞台裏 推薦リストがタブーに触れ「夫婦店」と習批判

2026/02/04
更新: 2026/02/04

中国共産党(中共)軍の「ナンバー2」である中共中央軍事委員会副主席・張又俠(ちょう・ゆうきょう)の失脚が公式発表された余波が広がっており、最近では様々な噂が絶えない。自由主義法学者の袁紅冰(えん・こうひょう)氏は、当局の通報から見た張又俠事件の真の内幕について、世間で広く伝わっている「汚職への粛清」や「個別の規律違反」ではなく、習近平個人の独裁体制の核心である軍権と高級将官の任命権に直接抵触したものだと指摘している。

中国国防部は1月24日、張又俠と中央軍事委員会統合参謀部参謀長の劉振立(りゅう・しんりつ)が「重大な規律・法律違反」の疑いで調査を受けていると発表した。これは1971年の林彪事件以来、最高位の共産党軍将官の失脚となる。このニュースが流れると国際世論は沸き立ち、張が米側に核兵器計画を漏洩した疑いがあるという説や、前国防部長の李尚福らを賄賂で引き立てたという説などが出たが、真実性については疑問視されていた。

袁氏によれば、上述の噂の多くは中共の対外プロパガンダ・システムが意図的に流したものだという。その目的は、張又俠の逮捕がもたらす政治的衝撃を和らげ、習近平が余裕を持って事態を収拾したかのように見せかけることにある。

習家軍の「東南派」が先制し「西北派」が反撃 軍内で1年に及ぶ大粛清

袁氏は事件の経緯を次のように説明する。中共のいわゆる「習家軍(習の側近グループ)」は、実際には二大派系に分かれる。一つは苗華、何衛東を中心とする「東南派」、もう一つは張又俠を中心とする「西北派」だ。両派は共に習家軍に属しながらも、軍の主導権争いにおいては死に物狂いの対立状態にあった。

二十大(第20回党大会)後、まず東南派が仕掛け、西北派の李尚福を汚職の罪で失脚させた。これに対し西北派が反撃に出て東南派を全面的に粛清し、苗華、何衛東、そして百人近い将官、千人近い校官が失脚するに至った。

習近平が東南派の排除を決意した理由は、習直属の特務システムと、劉振立が掌握する統合参謀部の軍情報システムの両方が、苗華や何衛東、そして当時の武警部隊司令、東部戦区の司令らが、江綿恆(江沢民の息子)や馬興瑞ら江沢民派の残党と政治的な徒党を組んでいたことを突き止めたからだという。彼らは習が台湾海峡戦争を発動した際、一か八かの賭けに出て習を裏切り、政局を掌握しようと企てていたとされる。2025年10月、当局は苗華、何衛東ら9名の上将の失脚を正式に発表し、軍内の東南派は壊滅した。

張又俠と劉振立が連名で上申 軍上層の人事補充を要求

約1年にわたる軍内の大粛清により、各戦区や各軍種、中央軍事委員会の多くの部門でトップが不在となり、指揮体系は崩壊寸前となった。

袁氏によると、苗氏らが失脚して半月も経たないうちに、張又俠と劉振立は中央軍事委員会に対し、軍上層の人員を「迅速に補充」するよう求める報告書を連名で提出した。そこには70名余りの中将・少将の推薦リストが添えられていた。彼らは、このリストが全軍10万人以上の将校による「民意調査」で選出されたものであり、「軍の民意」を代表していると主張した。これは、習近平の持つ高級将校への最高任命権に対する直接的な挑戦に他ならなかった。

軍事委員会での衝撃発言 張又俠が公然と習近平に挑戦

袁氏が体制内関係者から得た情報によれば、その後に開かれた軍事委員会拡大会議において、張又俠は極めて衝撃的な発言を行った。彼は二十大後に多発した重大事件が、軍の威信に回復不能なダメージを与えたと直言した。

張又俠は会議で次のように述べた。「中央軍事委員会は、高級将校の抜擢・任用における重大な過ちを深く反省すべきだ。権力と責任は表裏一体である。『定于一尊(唯一の権威)』の権力があるならば、その責任も負わねばならない。今後、特に高級将校の任命において、軍事委員会はもはや『一言堂(独裁)』であってはならず、集団で議論し、軍の志にかなう決定を下すべきだ」。

「夫婦店」による人事を暗に批判 矛先は彭麗媛の役割へ

さらに張又俠は、習近平の妻である彭麗媛を念頭に、「高級将校の任命は『夫婦店(夫婦経営の店)』のようなやり方であってはならない。私と劉振立が提示した推薦リストは、全軍10万人以上の幹部の中で選ばれたものだ」と皮肉を込めて放った。

袁氏は、この推薦リストは習近平の権威を地面に叩きつけて踏みにじるに等しい行為であり、これこそが、当局が張又俠の罪状として「軍事委員会主席責任制を著しく踏みにじり破壊した」と定義した主要な理由であると述べている。

張又俠が2025年10月末に動いたのは、情勢を見誤ったためかもしれない。苗華や何衛東の大事件の後、習近平は軍を安定させるために自分(張)に頼るほかなく、さもなければ習は完全に孤立無援になると考えたのだろう。「弱みに付け込み」、個人独裁への不満を一気に爆発させた形だ。

習近平の隠密工作 2か月に及ぶ張又俠逮捕計画

張又俠の公然たる挑戦に対し、習近平は表面上は極めて冷静で抑制的な態度を見せ、報告書と推薦リストを真剣に検討し、自らの責任を反省するとさえ約束した。これにより張又俠は警戒を緩め、習氏の陰険さと虚偽を過小評価してしまった。

袁氏によれば、習近平はすでに二十大の時点で、中央軍事委員会主席オフィス直属の「特別勤務部隊」を組織していた。これは少将以上の将校の逮捕・拘束を専門とする部隊である。約2か月の緻密な準備を経て、部隊はわずか4日間で張又俠と劉振立の逮捕を完了した。推薦リストに名を連ねていた70名余りの将官も、その後ほぼ全員が様々な形で拘束あるいは粛清され、彼らの部下や人脈網も逃れることはできなかった、と袁氏は語っている。

文彬