【古典の味わい】河間の男女 『捜神記』より
晋武帝世、河間郡有男女私悦、許相配適。尋而男従軍、積年不帰。女家更欲適之、女不願行。父母逼之。不得已而去、尋病死。其男戊還、問女所在。其家具説之。乃至塚、欲哭之敍哀、而不勝其情。遂発塚、開棺。女即蘇活。因負還家、将養数日、平復如初。後夫聞、乃往求之。其人不還曰「卿婦已死。天下豈聞死人可復活耶。此天賜我、非卿婦也」。於是相訟。郡県不能決、以讞廷尉。秘書郎王導奏「以精誠之至、感天地、故死而更生。此非常事、不得以常礼断之、請還開塚者」。朝廷従其議。
晋(しん 265~420)の武帝(司馬炎 236~290)の頃、河間郡(今の河北省に属す)に、人知れず愛し合う若い男女がいた。女の実家は、女がその男に嫁ぐことを許した。ところが夫はすぐに兵役にとられ、従軍したまま何年も帰らなかった。女の実家では、女が他の男と再婚することを望んだが、女はそれを拒み続けた。ある時、女の両親が強く迫ったので、娘である女はやむを得ず実家を去り、他の男へ嫁いだ。ところが女は、ほどなくして病死してしまった。
そこへ、元の夫である男が兵役から帰ってきた。「私の妻はどこにいますか」と問うたので、女の実家の人は、そのいきさつを詳しく話した。女が埋葬されている墓に行った男は、墓前で泣いてその悲しみを述べようとしたが、ついに自分の気持ちに勝てず、墓を掘り起こし、棺を開いてしまった。すると、なんと死んでいた女が、たちまち蘇生したのである。男は、女を背負って家に帰った。数日間、養生させたところ、女はすっかり良くなって以前の通りになった。
関連記事
(魏徴の上書、続き)「ですので、君主たるものは、以下の十のことがらについて、心に留めることが肝要でございます。 […]
(魏徴の上書、続き)「そもそも、群雄が天下を狙って取ろうとしているうちは、その心中に憂いもあり、必ず誠意を尽く […]
(前回の上書に続いて)同じ月のうちに、魏徴は再び文書をしたため太宗に申し上げた。 「臣、魏徴は、このような話を […]
(前文に続く、魏徴から太宗への上奏文)「わが聖哲なる唐の高祖・太宗は、隋滅亡の混乱のなかに旗を揚げて、苦しみあ […]
貞観11年のこと。魏徴が太宗に文書を上奏して申し上げた。 「臣、魏徴謹んで申し上げます。私が、古よりの数々の帝 […]