【古典の味わい】貞観政要 17

2022/06/19
更新: 2022/06/19
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(前文に続く、魏徴から太宗への上奏文)
「わが聖哲なるの高祖・太宗は、滅亡の混乱のなかに旗を揚げて、苦しみあえぐ人民を救い、荒廃した天下を再建されました。新たに天子の座につかれた陛下は今、(新宮殿を建て替えることをせず)隋の宮殿に住まわれています」

「かつて楚の項羽が阿房宮を焼き払ったような浪費をなさらず、質素なふるまいに徹しておれば、神のごとき天子の徳は自然に人民にしみわたり、無為にして天下は治まるでしょう。これが最上なる天子の徳でございます」

「また、宮殿のなかに、新たに建物をつくるにしても、豪奢を排し(尭帝の故事に則して)質素なかやぶき屋根や土の階段を織り交ぜてください。民力を浪費せず、民が喜んで工事に参加できるようにすれば、人民は自発的にやってくるようになります。そうすることで、万民は天子のおかげで寿命を全うすることができます。これが天子の徳としては、次善のものでございます」

「しかし、もしも陛下が、天命は永久に唐王室にあると誤解なされて、そうした恭倹の態度をおろそかにしたならば、人民は天子の徳を認めず、ただ労役の苦しみだけを味わうことになります。これが最も下なる方法でございます」

「それはまさしく、薪(たきぎ)を背負って火を掬(すく)うようなものであり、国家に混乱をもたらすものとなりましょう。陛下の後嗣たる方々が、どうして陛下を手本とできるでしょうか。人民が怨み、神が怒れば、必ず自然災害が生じます。災害が生じれば、国内に必ず禍乱が起きるのです。まことに帝王の位というものは、得難くも、失いやすいものでございます。このこと、陛下におかれましては、よくよくお考えいただくべきかと存じます」

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魏徴が太宗に奉じた上奏文の続きです。

それにしても魏徴という人物は、その職務が諫議大夫という「お諫め役」であるにしても、皇帝たる太宗に向かって、これほど遠慮なく、直截に物言うかと改めて驚きます。

同時に、その歯に衣着せぬ魏徴の諫言を、「よくぞ申してくれた」と謝意をもって受け止められる太宗の大いなる人格に対して、尊敬の念を抱かざるを得ません。

さて、この上奏文はもっと長いのですが、引用した部分だけを見ても、前王朝である隋の短命と、その原因となった煬帝その人の影が見えてきます。

この魏徴の上奏文には、唐の太宗が帝位について以来、前王朝である隋の宮殿をそのまま使用するなど、新たな出費を抑え、国家と人民への負担を軽減するとともに、自ら質素倹約の模範を示して、天子の徳を広める太宗の姿があります。

一方、そのことの対極として、隋の煬帝が行った京杭大運河の開削に、男女あわせて100万の人民を駆り立て、鞭打って重労働をさせた恐るべき過去の実例を連想させます。西暦で言うと大運河の完成が610年。この上奏文を奏した貞観11年は637年ですので、わずか27年前のことです。

さらには、動員した民衆を酷使してようやく完成を見た大運河の記念式典に、贅の限りを尽くした龍船を連ね、それに自身も乗って水上パレードを行った煬帝の暗愚を想起させるものでもあります。

なお、大運河の開削工事自体は、煬帝の父である文帝の時代から行われていました。文帝(楊堅)は英明な君主であったため、即位前の煬帝は、父の前では心中の刃を隠し、ひたすら従順な後嗣を装っていたのです。

ここで魏徴は、そうした煬帝による「亡国の所業」を随所に匂わせた上で、きわめて格調高い上奏文にしています。その内容を、特に説得力あるものにしているのは、大運河が完成したわずか8年後、618年に煬帝が部下に殺されて隋朝が滅ぶという、誰もが忘れもしない史実にほかなりません。

鳥飼聡
鳥飼聡