中国建築上の十の奇跡(一)―襄陽護城河

中国五千年の文明史の中で、漢民族の人たちは不滅の文化を創造しました。それは中国の人々、そして世界の人々に豊富、貴重な歴史の財産を残しています。この中で偉大で壮大な中国古代水利プロジェクトは、何千年もの間、世界の技術を超え、世界の人々を驚かせています。

これらの偉大な遺産を鑑賞することで、古代中国繁栄時代に天を崇拝し、神々を崇拝し、「順天意」、「天人合一」の哲学に従って、人類に幸せを齎した古代中国の皇帝たちや、中国人の強い意志、勤勉、そして卓越したスキルをもつ職人たちへの理解が深まるでしょう。

軍事防衛プロジェクト

中国春秋と戦国時代には、各国が覇権争いを繰り広げたため、敵国から身を守ることが全て国の戦略政策になりましたた。「強力な軍事力で国を統治する」という歴史の背景に「護城河(堀)」と「長城」の修築が始まったのです。賢者は地理的環境を最大限に活かし、巧みに資源を獲得し、強力な軍事防衛プロジェクトを建設した。この中で二つの傑作は襄陽護城河―川と城壁に囲まれた都市の二重防衛プロジェクト;万里の長城―地形の優勢を利用して完全な防衛プロジェク。

アジア最大の人工堀―襄陽護城河

襄陽城は中国の中心に位置し、漢江の中流域に位置し、春秋時代には楚の北部国境の軍事拠点であり、北に漢江が流れ、いわば自然の要塞になっていました。古代人は東、南、西に川を掘り、市外の運河から水を引き込み、水量をコントロールしながら漢江に接続出来た。この堀は防御的な役割を果たしていただけではなく、船舶航行の交通体制もコントロールしていたのです。

堀の長さは5060メートル、歴史資料の記録によると、宋王朝の初期に、堀の平均幅は180メートル以上、最大幅は250メートル、面積は91平方メートルでした。今では「華夏第一名城」と呼ばれ、アジア最大の人工堀となっています。

紀元前七世紀、楚の人はすでに自然を上手く利用する戦略防衛構造を知っていたのです。つまり「方城以為城,漢水以為池」、砦は城、漢江は池と見なすということで、ここで言う城は城壁で、池は堀です。古代人は都市を修築した際に城壁を高く修築し、池は深く掘り、二重の防御効果がありました。歴史上、襄陽城では200回以上の戦争があり、南宋時代、金の侵略に抵抗した名将、岳飛は、襄陽を「失われた領土を奪い返す根本となる城」と見なしていました。

襄陽護城河に対して、沢山詩と文章も書かれています。詩神と呼ばれた有名な詩人、李白も次のような詩を書いています。「襄陽の町は楽しいことのあるところ、歌うは「白銅鞮」の曲、それに合わせて舞い踊る。川べりにあるこの町は、ぐるりと青い水がめぐり、花と月がひとを迷わせて返さない。(『襄陽曲』)

(翻訳編集 千里)