古典の味わい

【古典の味わい】貞観政要 9

貞観19年のこと。太宗は自ら軍を率いて、高句麗へ遠征した。

定州(河北省)に宿営したとき、後から長安を出発した唐軍が到着すれば、太宗は必ず北門の楼上にお出ましになり、遠路はるばる歩いてきた兵士たちを迎えて、その労をねぎらった。

そのなかに一人、病気のため歩けなくなっている兵士がいた。太宗はその兵士を呼んで、床几の前まで来させると、天子自らお声をかけて「痛むところはどこか」と兵士にたずねた。

▶ 続きを読む
関連記事
(魏徴の上書、続き)「ですので、君主たるものは、以下の十のことがらについて、心に留めることが肝要でございます。 […]
(魏徴の上書、続き)「そもそも、群雄が天下を狙って取ろうとしているうちは、その心中に憂いもあり、必ず誠意を尽く […]
(前回の上書に続いて)同じ月のうちに、魏徴は再び文書をしたため太宗に申し上げた。 「臣、魏徴は、このような話を […]
(前文に続く、魏徴から太宗への上奏文)「わが聖哲なる唐の高祖・太宗は、隋滅亡の混乱のなかに旗を揚げて、苦しみあ […]
貞観11年のこと。魏徴が太宗に文書を上奏して申し上げた。 「臣、魏徴謹んで申し上げます。私が、古よりの数々の帝 […]