トルストイ寓話から「金銭を前にして、二人の兄弟が選んだもの」

ロシアの大文豪レフ・トルストイは、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など世界史上に輝く名作を遺しました。

長編小説のほかに、トルストイは数多くの有名な寓話物語を著しています。それは平易な表現のなかに、彼がもつへの篤い信仰心と、生命に対する深い洞察を込めたものと言えるでしょう。

そのなかの一編に『二人の兄弟と金貨』という寓話があります。
偶然、ひと山の金貨を見つけたとき、兄と弟はそれぞれどのような選択をしたのでしょうか。

あらすじは、以下の通りです。
遠い昔のこと。エルサレムからそう遠くない山の上に、二人の兄弟が住んでいました。兄はアファナーシ、弟はイオアンです。
一週間のうち、月曜日から土曜日まで、二人の兄弟は別々に働いています。

「働く」と言っても、自分の暮らしは人からの恵みでやっていけましたので、この兄弟は専ら、他者である貧しい人や病人、親のいない子供などを支援する奉仕活動をしていたわけです。

土曜日の夜になって、仲の良い二人の兄弟はようやく同じ家に戻ってきます。神へ祈りを捧げ、日曜日だけは一緒に過ごします。
主の天使も、そんな二人のところへ必ず降りてきて、兄弟の善行をほめて祝福してくれます。

そうして何年も過ぎました。
ある月曜日の朝、同じように兄弟は家の前で別れて、それぞれの場所へ向かいました。兄のアファナーシが、ふと振り返って、遠く離れたところを歩いて行く弟を見ました。

すると、弟のイオアンが奇妙な行動を見せたのです。地面に落ちていた「何か」を見つけて、あっと飛び退くような動作をした後、弟は、その場から一目散に逃げ去りました。

不思議に思ったアファナーシは、先ほど弟が飛び退いた地点に行ってみました。そこにあったのはひと山の金貨でした。
どのくらいの金額か分からないほどの大金です。

弟は、もう声が届かないほどの遠くへ走り去っていました。
兄のアファナーシは、「おお、これだけの金貨があれば、もっと世の人々に尽くすことができるぞ」と考え、脱いだ上着に金貨を全て包み、一人で町へ運びました。

アファナーシは、その金貨をもとに3軒の家を建てました。
貧しい人や病人、親のいない子供や物乞いを収容する福祉施設です。
徳のある3人の老人を雇って、それぞれの施設の監督につけました。

3軒の家は、救いを求める人でいっぱいになりました。世間では「自分には1枚の金貨も残さず、大きな善行を積んだ」ということで、アファナーシへの評判が高まっていました。

アファナーシはそれが嬉しくて、人々と別れ難かったのですが、やはり弟に会いたいと思いましたので、もとの古い上着を着て、家へ戻る道を歩き始めました。

「イオアンは、あの金貨を見て逃げ出したが、それは間違っていたな。こんなに多くの人が喜んでくれたのだから、僕のしたことが正しかったのだ」

自分の家に近くなったとき、アファナーシの行く手に、いつもは彼らを祝福してくれた天使が、とても険しい顔をして立ちふさいでいます。
「おまえは、ここを立ち去れ。おまえには、弟と一緒に暮らす資格はない。弟は金貨を見て飛び退いたが、それはおまえがあの金貨で買った家よりも、何倍も尊いのだぞ」

アファナーシは慌てて、自分がどれほど貧しい人々の役に立つことをしたかを次々と語り始めました。天使は、それをさえぎってこう言います。

「おまえが今話している言葉は、何だと思う。おまえを誘惑するために金貨をあそこへ置いた悪魔が、おまえに言わせている言葉なのだぞ」

アファナーシは、はっと悟りました。とたんに泣きだして、善行と言いながら実は世間の評判や美名を求めていた自身の過ちを悔い改めたのです。

すると天使は、みずから路傍に寄り、彼の行く手をひらいてくれました。そこには、兄の帰りを待っていた弟のイオアンが立っています。

それ以来、アファナーシは、金貨をまいた悪魔の誘惑に負けないで、「神様と人々に仕える道は、金ではなく、ただ自らの労働によるのみだ」と心に誓い、弟とともに、以前通りの奉仕生活を続けたと言います。

トルストイが1886年に書いたこの寓話には、「世の中に対しては、金銭ではなく、労働で貢献すべきだ」という教訓が込められています。

135年後の今を生きる私たちは、ここから何を悟るでしょうか。
(文・宋宝藍/翻訳編集・鳥飼聡)