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三国志を解釈する(14)

【三国志を解釈する】(14)忠義か不義か 献帝を取り巻く人々が現した義

作者の羅貫中は、『三国志演義』を通して、「天地人」の三才という形で天人合一の人文観を伝えるようとして、主導的な力は天にあることを人々に知らせようとし、同時に地上の人々が様々な形で義を「演じる」ことを表現しようとしていました。

漢の末期では、「帝ではない帝、王ではない王」という奇妙な歴史的現象が長い間続いていましたが、この特殊な時期において人々は違う形で「義」を演じるのです。つまり、朝政が不安定で、皇帝の実権が不確定の時期で、人によって「義」に対する理解や実践が異なり、「義」の現れようも異なり、豊かです。

『三国志演義』で最初に登場したのは、「桃園で結義する」という話です。劉備、関羽と張飛の三人が、黄巾軍の反乱を鎮め、国の平和を取り戻すという目標のために結義しました。国のために力を捧げようと思っています。作者はこの物語を描きながらも、劉備三兄弟の「義」に対する理解や実践の姿を描写することを忘れていません。

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