【芸術秘話】フレスコ画(Fresco)

フレスコ画の起源について未だ定まった論証はありませんが、ミノア文明の時期や、古代ローマ人(例えば、ポンペイ遺跡)の頃から色彩壁画が発見されています。

その後、イタリアのルネサンス期がフレスコ画が最も輝いた時期で、13世紀から16世紀の間、チマブーエやジョット・ディ・ボンドーネ、マサッチオ、フラ・アンジェリコ、ミケランジェロラファエロ・サンティ、コレッジョなど、皆いくつもの有名なフレスコ画を残しています。

中でも、ミケランジェロが『創世記』をもとに描いたシスティーナ礼拝堂天井画と『最後の審判』は今では、知らない人がほとんどいないほど偉大で壮観な作品です。一方、ラファエロの『アテナイの学堂』は最も上品で繊細な作品です。

しかし、油絵などの発展により、16世紀半ばからフレスコ画があまり描かれなくなりました。20世紀初めの頃、ディエゴ・リベラや他のメキシコ学科によって、短期間ではあったものの、再び復興しました。

技法

フレスコは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ乾いでいない状態で、水または石灰水で溶いた顔料で描くという技法です。漆喰とともに固まり、乾燥し、そして、一旦乾くと水に浸けても滲まないため、永遠に残すことができます。その反面、やり直しができないため、失敗した場合、漆喰をかき落とし、やり直すほかはなく、高度な計画と技術力が必要とされます。

クノッソス、クレタ島のカラフルなフレスコ画(Stovall / Epoch Times)

 

マサッチオの「聖ペテロの生涯」のフレスコ画の一部(パブリックドメイン)
フラ・アンジェリコ「受胎告知」(パブリックドメイン)
 
ミケランジェロの最後の審判。(パブリックドメイン)

1、ブオン・フレスコ(湿式法)
ブオン・フレスコとも呼ばれ、「真のフレスコ」という意味です。消石灰と砂(時には大理石の粉を加えることもある)に水を加えながら混ぜて練り上げた漆喰を2回程重ね塗りし、硬化した後、下書きを描いていきます。その上から、更に非常に薄い漆喰の最終層を塗り、まもなく硬化する前の表面に顔料を水または石灰水で溶いて描いていきます。これをイントナコと言います。イントナコの調合が完璧な場合、生乾きの状態が何時間も続きます。

漆喰が硬化する過程で生じる水酸化カルシウムの化学変化により、顔料は壁に定着するのです。漆喰が生乾きの状態で描かなければならないため、一日に描くことの出来る量をあらかじめ計算してから、漆喰を塗らなければなりません。この区分を「ジョルナータ」と呼びます。
 

ミケランジェロの「最後の審判」が復元される前は、フレスコ画の背景にある継ぎ目は非常に明白です(スチュアート/大紀元時報による写真)

2、フレスコ・セッコ(乾式法)
フレスコ・セッコは乾燥した漆喰の上に描く技法で、乾いた漆喰を石灰水で再び濡らし、まだ濡れている状態で描きます。顔料は漆喰に定着せず、他の塗料と同じように表面に描くような形であるため、ブオン・フレスコより少々劣っているものの、修飾や塗り継ぎ部分の色合わせなどに用いられます。

3、メッゾ・フレスコ(半湿式法)
メッゾ・フレスコは16世紀末に良く見られ、ブオン・フレスコの製作可能時間を延ばすために考え出された技法です。漆喰の乾燥が進んだ後も描き続けるために、顔料に媒材として消石灰などを混ぜ込ませます。わずかな顔料しか漆喰に浸透しないため、より豊富な色使いが可能です。

(作者 史多華/翻訳編集 天野秀)