フランス、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間(Shutterstock)

未来は今から始まる(一)

 

ヴェルサイユ宮殿 神話と現実

煌びやかな金色の扉を開け、中に踏み入った瞬間、視界いっぱいに広がるのは、太陽王ルイ14世が残した偉大な遺産ーーヴェルサイユ宮殿です。

聖書、神話、古代の人物たちの物語が宮殿内の天井に延々と続いていき、天使ガブリエル、海神、翼が生えた太陽、戴冠式のナポレオン……人類の輝かしい歴史の瞬間が永遠に記録されています。顔を上げて見上げると、わずか340年前を生きた人々が、まるで遥か遠い昔の時代に思え、まさに神話のようです。

神と人間を語るこの壮絶な宮殿に入ると、Tシャツを着た現代人はまるで別の生き物のように見えます。340年間での人類の変化は驚くほど大きいもので、今日の私たちにとって、17、18世紀頃の人々と彼らの世界観は非常にかけ離れており、たとえ同じ地球上で生き、私たちに偉大な文化遺産を残してくれたとしても、非常に遠く感じます。

今日の人々が生きている世界と、昔の人々と彼らが信じていた世界との間には、断裂が生じているのです。

 

人物画の歴史

大昔、先祖たちは狩りやお祝いなどの色彩絵画を洞窟の壁に描き、我々に当時の生活を残しました。

ラスコーの壁画(パブリックドメイン)

 

古代ギリシア・ローマ時代の芸術家たちは、大理石や青銅などを用いて人間と神々の姿を完璧に再現しました。一方、古代中国では、宮廷画家や文人画家たちは神の姿かたちを写意的に表しており、画家が達している境地によって表現が異なるため、独特な芸術的境地を示しています。東洋画の独特な趣と西洋画の写実主義がともに肩を並べていることは、

人類の芸術文化において永遠に称えられる一双の宝物だといえるでしょう。

 

天からの贈り物

13世紀、ヨーロッパ中を襲った黒死病の流行が終息した後、生き残った人々は活力に満ちた生活と生き生きとした芸術スタイルを求めるようになりました。

東ローマ帝国の滅亡により、多くの古代書籍や写本がヨーロッパに流れ込み、そして、黄金時代のギリシアの彫像が次から次へと出土したことにより、完璧な人体バランスと生命力溢れる芸術作品は、大災害を経験したばかりの中世に希望の光を差し込みました。

これらの古代ギリシアの写実的な芸術作品は、中世末期の芸術家たちに新鮮な創造力を与え、ルネサンスの源泉となりました。

『カナの婚礼』ジョット・ディ・ボンドーネ作(パブリックドメイン)

 

 

画家ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)と画僧フラ・アンジェリコ(1395 – 1455)のおかげで、宗教絵画は芸術の境界に達したともいえるでしょう。この2人の画家の人物画は純朴で、構図も想像力に満ちており、人類早期の生命形態が表現されています。

後の絵画は遠近法の運用や人体におけるバランスの把握がより優れていますが、この頃の純朴さは失われました。これらの天真爛漫で芸術の魅力に満ちた絵画はルネサンスの早期に出現し、これから訪れる輝かしい最盛期を予告しているのです。

 

ルカ・シニョレッリがフラ・アンジェリコの死後の1505年頃に『アンチキリストの支配』に描いた肖像画

(パブリックドメイン)

(つづく)

 

(翻訳編集 天野秀)

 

関連記事
端午の節句に風に揺れる五色の鯉のぼりは、日本の風物詩の一つですが、その起源は古代中国の神話「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」に由来します。この節句はもともと男の子の成長を祝う日とした伝統行事です。
1271年、モンゴルのフビライ・ハンが元を建て、初めての漢民族以外の皇帝となりました。その後、数十年にわたり、中国はかつてない規模の帝国となり、元は文化の多様性と国際貿易の栄えた時代となりました。
明の最初の皇帝・太祖の生い立ちは、朝廷生活とはほど遠く、彼は朱元璋と名付けられた農民の子供でした。彼は最初、僧侶の道を歩みましたが、モンゴル主導の元が朝廷内の闘争で弱体化する中で反乱軍に参加し、まもなく右に出るもののいない軍事家として才気を発揮することとなりました。
清朝(1644-1911年)は、中国最後の統一王朝で、満州族により統治されました。末期の数十年には、軍事的敗北、内紛、経済の疲弊が次々と襲いかかりました。
道教で用いられるハタキは、動物の毛と麻を合わせたもので、木製の柄がついています。道家の道士や僧侶は、ハタキを携えて修業の旅に出ます。