起立した野獣の記念碑の前を歩く女性たち。ジャン・デュビュッフェの彫刻。(Shutterstock)

未来は今から始まる(五)

解体される人間

ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet、1901-1985)の絵筆の下では、古典絵画の中のたくましい肉体を持った力強い人類は支離滅裂になり、何世紀もかけて先人たちが生涯をもって築き上げてきた様々な絵画技法も、スプレー塗料へと変わってしまいました。ヒトの姿かたちが全く見られない魔性の「非人物絵画」は、芸術の歴史と発展を途絶えさせたのです。

21世紀のハイパー・リアリズム(高解像度の写真に似た絵画と彫刻)には恐怖と死の雰囲気が漂っており、生き生きとしていて生命力に満ち溢れた古典絵画とは別世界のものです。

一方、東洋画でも変異を見せました。サザビーズのオークションで、超高額で落札した東洋画からはなんと、絶望が感じられます。現代化の発展により、西洋画も東洋画もすっかり変わり果てました。

 

人類のあるべき姿を再び追い求めて

2008年、「新唐人テレビ」は、第1回目の「全世界華人人物写実油絵コンテスト」を主催しました。古典絵画の基礎や写実性がすでに失われた現代の芸術界で、なぜ、再び写実を持ち出すのでしょうか?そして、なぜ人物絵なのでしょうか?

今日の私たちは文明の廃墟で生きています。文明の健康度を診断するとしたら、現代の芸術はまさに重症を意味しています。「新唐人テレビ」が主催した「全世界華人人物写実油絵コンテスト」は、本来あるべき人間の姿を再び取り戻すよう、画家たちに呼びかけているのです。

300年あまりの時間の中で、人間の意識形態は極端に変わりました。「第1回全世界華人人物写実油絵コンテスト」の優勝者である如氷さんは、「現代の抽象的な絵画は、人々の感情を無駄にしているし、傷つけている」と語りました。コンテストは伝統的なものーー人々に忘れ去られた生命の偉大さと神聖さを再び取り戻すことを求めています。

神様を尺度に、自分たちの風采・挙止・態度・行為などを律しているから、人は人であるのです。古典的美学とは、美と善をもとに「真実」を追求しているものなのです。

(つづく)

(翻訳編集・天野秀)

関連記事
 【大紀元日本3月8日】全世界華人新年祝賀祭・日本初公演(3月10日尼崎市アルカイックホール)まであと2日。ステージの出演者のほかにも、この美しい舞台を陰で支える技術スタッフがいる。主催する新唐人テレ
 【大紀元日本2月11日】8日午後5時、米国神韻国際芸術団の韓国公演が、いつまでも鳴り止まぬ拍手喝采の中、ついに幕を閉じた。韓国の2大都市テグ(大邱)とソウルで行われた9日間にわたる11公演は、満場の
唐寅は明時代の人で、字は伯虎、「明四家」の一人であり、「江南第一の才子」と号された人物である。唐寅は、若年期に沈周を師として絵画を学んだと伝えられる。
「最後の審判」の壁画は、雲の上に立っているイエス・キリストを中心に描かれています。キリストは若く、容姿端麗で力強く右の手を上げ、大公無私で優れた正義感を以って判決を下します。善人を天国に導き福報が得られるようにします。左の掌で、邪悪を阻止し、罪人を地獄に沈めるように下へ押さえています。悪人には悪の報いがあります。キリストの掲げた右手は、この世のすべてのものを一瞬にして最終的な判決を下し、すべてに決着をつけるかのようです。 この荘厳な建造物には、無限の慈悲と威厳が顕わされおり、人々は神の偉大さと
  ヴェルサイユ宮殿 神話と現実 煌びやかな金色の扉を開け、中に踏み入った瞬間、視界いっぱいに広がる […]