「落穂拾い」(1857年、ジャン=フランソワ・ミレー作:パブリックドメイン)

未来は今から始まる(六)

芸術は大自然から生まれる

1837年、農民出身の画家ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は海辺の農村を離れて、パリへやってきました。2年間ほどポール・ドラローシュ(1797 –1856)の下で絵画を勉強した後、ルーヴル美術館で大物画家たちの作品を模倣しながら絵画を練習し、その10年後、パリを離れて、フォンテーヌブローの森の近くの村で大自然を描き始めたのです。

ミレーは「観察」を実践した画家です。彼は毎日森の中や畑の間で一生懸命に「観察」した後、記憶に刻み付け、そして、暗くて狭い部屋に戻った後、田園、農民、青空、羊飼い、農作業などを見た通りに描き出していきました。

「羊飼いの少女」(1864年、ミレー作:パブリックドメイン)

 

一筆一筆と丁寧に描くミレーは独自の画風を生み出しました。他の多くの著名な作品と異なり、ミレーの作品(「晩鐘」「藁を束ねる人」「羊飼いの少女」など)からは、独特な田園風景や農民たちの生活が感じられます。

ミレーの筆の下には、毎日の農作業により疲れ果てた表情をした人もいれば、細い体をしながらも一生懸命に命を燃やしている人もいます。農具にもたれかかりながら一息ついている農民とその背後に広がる大自然など、ミレーにとって、「観察」「見る」ということは「理解する」ことなのです。

最後の決算の時

新世紀に入り、文明の廃墟の中で、若い芸術家たちは今、未来を考え始めました。そして、世界各地の画家たちは再び絵筆を取り、純粋で、実際の状況をキャンパスに描いています。人間は描くことが最も難しいものです。

一つの時代が創り出した芸術は人間を根本から変えることができます。支離滅裂な現代画を見て成長した人と、ミケランジェロラファエロの絵を見て成長した人の世界観や心境は全く異なるものです。これは芸術による人類への教育の違いなのです。

(つづく)

(翻訳編集 天野秀)

 

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