古典の味わい

【古典の味わい】貞観政要 14

貞観10年のこと。太宗が、侍臣に向かい、このように問われた。

「帝王の事業のなかで、創業と守成、いずれが困難であろうか」

その問いかけに、尚書左僕射の房玄齢(ぼうげんれい)がこう答えた。

「国家創業のときは、必ず前王朝が衰え、天下が乱れて群雄割拠するなかにございます。これらの強敵を一つ一つ討って降伏させ、全ての戦いに勝利してこそ、新たな王朝が開けます。そのことからして、創業が難しいものと存じます」

これに続き、諫議大夫の魏徴が答えて、こう述べた。

「新たな帝王が起こるときは、必ず前王朝が衰え、そこに巣くっている狡猾な悪者どもを一掃しなければなりません。そのとき人民は、乱れた世の中を平定してくれた帝王を天子として頂くことを心から喜びます。はじめに帝王となることは、天が授け、人民によって与えられたものでございます。ならば、創業は難しいというほどでは、ございません」

魏徴の答えは、さらに続く。

「しかしながら、すでに天下統一を成し遂げた後には、何事も帝王の思い通りになるため、ややもすれば気ままな志向に走りやすくなります。人民は、長い戦乱が終わり、平和に暮らせることを願っております。そこでまた、帝王の気ままな贅沢のため労役に駆り出されては、人民が疲弊してしまいます」

「国が滅ぶのは、常にこうした原因から起こるものでございます。この点から申しますと、完成された事業を、さらに大切に維持していくことのほうが困難でございます」

  *****************************

有名な「創業と守成」の一節です。

日本の大企業トップから中小企業の社長さんに至るまで、『貞観政要』がなぜ経営者必読の教養書になっているかといえば、この一節があるからと言っても過言ではありません。

日本人の伝統的な「好み」からすると、おそらく「守成」のほうに重きをおく思考のほうが受け入れやすいと言えるでしょう。

創業時の苦労は、初代が一冊の自伝にまとめ、自費出版して新入社員に配布すれば十分です。何よりも今は、従業員をかかえた自社の「今後」をどのように守り、発展させていくかにかかっています。それゆえ日本人は、ひたすら「守成」を第一としたわけです。

そのような日本人の好みはさておき、そもそも『貞観政要』の原文で、この部分は守成ではなく「守文」であったらしいのです。

日本に伝わった後の、和製刊本から「守成」になりました。どこかで誤記したのです。

日本の社長さんは、あたかも自身が太宗の玉座についたかのように、「創業と守成」の議論を用いて社訓にもしたのですが、ここは原文の「守文」にもどして考えるのが適切でしょう。

守文とは「文を守る」こと。太宗が家臣に問いかけたこの一節は、創業か守成かではなく、実は「文武の議論」だったのです。

太宗は、まさに武の人でした。討伐の旗を揚げた父・李淵(高祖)にしたがい、自ら兵を率いて勇敢に戦う、若き将軍だったのです。

太宗の長い戦いは、玄武門の変(626)で自身の兄と弟を討つことにより、ようやく終焉します。

こうした創業時の苦難を忘れないことは言うまでもありません。

しかし天下が平定された今こそ、帝王自らふるまいを正し、「文化の力」「文明の光」をもって国家を平和に治める文治の優位性、すなわち「守文」の重要性を魏徴は説いたのです。

(文・鳥飼聡)

 

関連記事
(魏徴の上書、続き)「ですので、君主たるものは、以下の十のことがらについて、心に留めることが肝要でございます。 […]
(魏徴の上書、続き)「そもそも、群雄が天下を狙って取ろうとしているうちは、その心中に憂いもあり、必ず誠意を尽く […]
(前回の上書に続いて)同じ月のうちに、魏徴は再び文書をしたため太宗に申し上げた。 「臣、魏徴は、このような話を […]
(前文に続く、魏徴から太宗への上奏文)「わが聖哲なる唐の高祖・太宗は、隋滅亡の混乱のなかに旗を揚げて、苦しみあ […]
貞観11年のこと。魏徴が太宗に文書を上奏して申し上げた。 「臣、魏徴謹んで申し上げます。私が、古よりの数々の帝 […]