上品で美徳のある女性の育ち方【雅(みやび)を語る】

 

常に人に与える印象を心に留め、身だしなみを整え、大声で話さず、口を開けて笑わず、昼間でも自室の扉を閉め、軽々しく人前に顔をさらさない。

昔の未婚女性は時間をかけた訓練や勉強を通じて、ようやくこのような教養があって礼儀正しく、才徳と淑徳を兼備した女性になれるのです。では、彼女たちはどのようにしてこのような上品な気質を身に着けるのでしょうか?

当時の女の子の勉強内容は主に「徳」「容」「言」「功」の4つの分野に分かれます。徳は女性の教養と美徳を指し、『女孝経』『女誡(じょかい)』『女論語』『女範(じょはん)』などの女性のための教訓書を勉強しなければなりません。

「容」は文字通り、女性の容姿を指し、派手な化粧をしてはならず、常に穏やかで落ち着きを保つことが重要です。「言」とは言葉遣いのことで、異なる相手に対して、異なる言葉使いをしなければなりません。例えば、目上の方に対しては礼儀正しく、使いの者たちに対しては威厳を保つことなどが挙げられます。「功」は女性が身に着けるべきスキル、つまり、技能のことです。例えば、調理や刺繍、家財の管理などがこれに含まれます。

中国は長い歴史の中で、男耕女織の社会形態を継続してきました。「男は外、女は内」とされてきたので、紡織などは基本的に女性の文化と言われ、養蚕から紡織、色染め、裁縫、刺繍など、どれも女性が勉強しなければならない必須科目でした。

昔は、身分にかかわらず、女性は誰でも刺繍ができました。なぜなら、刺繍はその女性の教養や才徳を測る基準だからです。江南(中国長江下流部の南方にある江蘇省南部から浙江省北部にかけての地域)では、未婚の女の子は基本的に毎日刺繍しており、そのため、女の子が刺繍している場所を「繍楼(しゅうろう)」と呼んでます。

名門名家出身の令嬢は上記の4つの分野の他に、琴棋書画などの芸も習わなければなりません。嫁ぎ先では、家財の管理や人事の手配などの生活面のことを整えるだけでなく、精神面においても、家族や親戚たちと交流できなければならないのです。

さらに才能のある令嬢は、歴史をも熟読し、歴史上有名な人物や彼らにまつわる有名な話なども熟知しています。例えば、唐の時代の長孫皇后は中国史上最も「賢后(賢明な皇后)」として名高い皇后の一人です。ある日、唐太宗は政治家の魏徴に対して激怒していました。

魏徴は非常に正直な忠臣ですが、よく唐太宗の言葉や意見に反対の声を上げていたのです。このことを知った長孫皇后は正式な服装に着替えて唐太宗を出迎え、「君主が賢明なら、臣下も正直になれるとよく言われます。魏徴がここまで正直に物事を進言できるということは、彼も陛下を賢明な君主だと認めているからではないでしょうか」と言いました。

これを聞いた唐太宗の怒りは直ちに鎮まりました。このように、物分かりがよく、理性的な皇后と誠実で正直に進言できる忠臣の協力があったからこそ、唐太宗は盛世を開いたのです。

昔は、女性に対する品行の養成は非常に重視され、わざわざ女教師を雇う家庭もありました。特に、明や清の時代では、女性の家庭教師が増え、多くの名門名家は名高い女性教師を招いて、一族の女の子たちが心優しく、思いやりがあり、かつ美徳を兼ね備えた女性になれるよう教育していたのです。

(翻訳編集 天野秀)
 

雅蘭