「痛定思痛」【1分で読める故事成語】

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「痛定思痛」は痛みが治まってからも、その痛みを思い起こすことから、かつての失敗や苦難を思い出して反省し、今後の戒めとするという意味です。

1275年頃、モンゴルの元軍は、南宋末期の政治家であり、使者でもある文天祥とその一行を理由もなく拘束しました。彼らの本拠地へ向かっている道中、文天祥一行は隙に乗じて脱出に成功しました。その後、一行は国に戻り、守将の苗再成と戦略を討議しました。

国境司令官の李庭芝は、文天祥が元軍に投降したと勘違いし、文天祥を殺すよう苗再成に命じました。しかし苗再成は殺すことができず文天祥を見逃しました。文天祥は誤解を解くため、自ら李庭芝の所へ釈明に向かいましたが、李庭芝はすでに指名手配文書を張り出していました。文天祥は仕方なくその土地から離れていきました。

その後、文天祥は恭帝の弟の端宗が福州で即位したと知り、船に乗って福州へと向かいました。道中、文天祥は自分の経験をもとに、いくつもの詩を書き、そして、これらの詩を集結して『指南録』という詩集を作成し、南宋に対する忠誠心を表明しました。

『指南録』のあとがきの中には「痛定思痛、痛何如哉」と記されています。当時、文天祥は危険な状態に陥っている時に感じた悲痛の思いを詩に現していたのです。それらの詩は自分を励ますものでしたが、同時に、後世の人々への戒めとしています。

(翻訳編集 天野秀)

程実