(パブリックドメイン)

信仰と道徳によって輝いた芸術(上)

敬虔な信仰が素晴らしい作品を生み出す

芸術は人類文明の結晶であり、歴史を振り返ってみれば、芸術の起源は信仰と深くつながっています。古来、人々の神への敬虔な信仰心は、他の感情を超えていたため、芸術の初期段階では、天国の神仏を表現する作品が最もよく見られます。

神は私と共におられる

3000年前に、中東の情勢が急変し、戦争が起こりました。サウル王はイスラエル人を率いて、ペリシテ人と戦いました。しかし、ペリシテ人の中には、巨人兵士ゴリアテがいますが、一方、イスラエル人にはゴリアテに匹敵する戦士はいませんでした。

両軍は40日間対峙し続けました。ある日、羊飼いの少年ダビデが、イスラエル軍に入隊している3人の兄に食料を届けに戦陣を訪れます。両軍がにらみ合いを続けていることを知ったダビデは、「ゴリアテに挑みたい」と言い出しました。もちろん、兄たちに反対されます。しかし、ダビデは神様を信じ、必ずゴリアテを打ち倒せると思いました。

ダビデと対峙するゴリアテ(パブリックドメイン)

ダビデは石を拾い、投石器を持ち、戦場に赴きます。ゴリアテは弱弱しい人間の少年を見てあざ笑いますが、ダビデは「神は私たちと共におられる」と言って、ゴリアテの額を目がけて石を投じ、そして、見事命中しました。ペリシテ兵士はゴリアテが殺されたのを見て、慌てて逃げ出し、少年ダビデはイスラエルのヒーローとなり、その後、イスラエル王国第2代目の王となりました。

ダビデ像(ミケランジェロ作/パブリックドメイン)

ダビデの死から2000年後、フィレンツェに優れた品質の大理石が送られてきました。彫刻を頼まれた26歳のミケランジェロはこのプロジェクトを引き受けました。しかし、彫刻は想像以上に難しく、どうすればこの巨大な大理石に魂を吹き込むことができるのでしょうか。

ミケランジェロは何度も何度も聖書の内容を繰り返しました。仕事がなかなか進まない時、ふとダビデが自信満々に言った「神は私たちと共におられる」という言葉が頭の中に響き渡ったのです。

そして、ミケランジェロの目の前に、ゴリアテと対峙するダビデの姿が浮かび上がりました。少年が戦うと決意した時の表情や強敵に臨む姿、当時の状況がはっきりと見えたかのように、ミケランジェロは絶え間なく大理石を彫刻していきます。

それから2年後、芸術の歴史における最も卓越した作品が完成しました。これはどのダビデ像よりも優れており、ダビデ像の最高峰とさえ言われている傑作となったのです。

衆生病むが故に我もまた病む

約3000年前、インドの毘舎離城(ヴァイシャーリー)に維摩詰(尊称・維摩居士)という老人がいました。釈迦牟尼仏の弟子たちはよく維摩居士と一緒に仏教を論じますが、結局、維摩居士が言った高度な教理に納得させられました。維摩居士は智慧が豊富で、神通、天眼などをよく理解し、坐禅と戒律の本質や、仏教における「空」の本当の意味も知っています。

維摩居士(パブリックドメイン)

しかしある日、維摩居士は病気になりました。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は見舞いに行き、維摩居士に、「あなたの修行は順調にいっているのに、なぜ病気などにかかったのか」と尋ねます。すると、維摩居士は、「私はずっと前から病気になっています。衆生(世の中のすべての生き物)病むが故に我もまた病むのです。いつか衆生が苦しみから抜け出せば、私の病も癒えるでしょう」と答えました。

文殊菩薩は維摩居士の話を聞いた後、何かを悟ったかのようです。そして、維摩居士は「空」と「不二法門」の深い意味を説明しました。文殊菩薩はより深い理を求めようとしましたが、維摩居士は口を閉ざしました。そして、文殊菩薩はこの静けさの中で、仏(佛)の理を悟り、次の瞬間、天から花が降ったのです。

西夏(1038年-1227年)で描かれた文殊菩薩像(パブリックドメイン)

この話は『維摩経』 に記録されています。『維摩経』 が中国に伝わってきた時、「衆生病むが故に我もまた病む」という名言は特に人々を感動させ、それ以来、己を捨てて他人のために尽くすという慈悲深い精神は、中国の文化思想に普及しました。

歴史上、多くの素晴らしい芸術作品は、神への信仰を表現しています。例えば、ギリシアのパルテノン神殿の彫刻やヨーロッパの教会のモザイク画、ステンドグラス芸術、敦煌石窟の壮大な仏像など、どれも現代の人々を驚嘆させ、神聖さを物語っています。

古今東西、生まれながらにして芸術的才能を持つ人々は、神の祝福を受けていると考えられています。このような人たちは、神に与えられた才能を使って、神に恩返しし、神を讃美します。自分の利益や名声のために使うことはめったにありません。そして、そんな彼らの作品は、時代の潮流に流されることなく、永遠に称えられるのです。

(つづく) 

(翻訳編集 季 千里)

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