「山川異域、風月同天」に隠された物語【雅(みやび)を語る】
2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、日本から続々と中国に届く支援物資には「山川異域、風月同天」という漢詩が添えられ、大きな話題を呼び起こしました。
支援物資に添えられた「青山一道同雲雨,明月何曾是両郷」や「豈曰無衣、与子同裳」、「山川異域、風月同天」などの漢詩は、中国人でさえもあまりその出処を知らないのです。
「青山一道同雲雨,明月何曾是両鄉」は唐代詩人の王昌齢の『送柴侍御』に記載されている一節で、「住むところは異なるが,同じ世界に住む者として共に困難を乗り越えていこう」という意味で、王昌齢が友人を慰める時に言った言葉です。
関連記事
【大紀元日本3月24日】 「若葉して御目の雫拭はばや」。 芭蕉は貞享五年(1688)、唐招提寺を訪れ開山堂に安置される鑑真和上像を拝し、この句を詠んだ。今でも、句碑として旧開山堂の前に立てられている
中華五千年の歴史には及ぶまいが、日本も神武天皇以来、2千数百年の歴史をもつ。 短い歴史ではない。ただ、日本に漢字がもたらされたのが5世紀から6世紀とされているので、それ以前のおよそ千年間、日本人は文字表記をもたない伝承
日本にある中国語検定試験HSK事務所が、湖北省に援助物資を送る際、梱包に唐代の詩が記されていたのが、中国インターネットで話題となった。以後、日本からの物資に詩を明示するのが密かなブームになっている。いっぽう、中国国内では「名句の登場がちっとも見られない」として、専門家は文化の破壊を嘆いている。また、体制批判を揶揄する名句もインターネットに表出しはじめた。
鑑真は、「昔、南岳の慧思禅師が遷化した後、仏法を興すために日本の王子に生まれ変わった」と言いました。この日本の王子が聖徳太子だという。
現代の生活の中で、誰しも大きなプレッシャーと圧力を抱えています。今回は古代の人々がどのようにして香り(薫り)を […]