チベット仏教の生き仏の輪廻転生(大紀元)

チベットの不思議な現象(1)霊能者が輪廻転生【未解決ミステリー】

チベット仏教には「生き仏」が存在します。一定の成果を出した密教修行者は来世の生まれ変わる場所を自ら選ぶことができ、円満成就するまで修行を続けるのです。本来の「修行者」が亡くなった後、寺院は様々な儀式を通じて、生き仏が入寂(亡くなること:にゅうじゃく)した後に生まれた子供を探し出します。そして、その中から先代の生き仏の生まれ変わりの子どもとして選び出します。

チベットの生き仏が西洋で生まれ変わる

西洋人にチベット仏教を伝えていたラマ・トゥブテン・イェシェは1984年に入寂しました。その後、弟子のソパ・リンポチェは超能力者から、師は「フランシスコ・ヒタ」と「マリア・トレス」という夫婦の家庭で生まれ変わると言われました。

ソパ・リンポチェは何年か後に仏教センターを訪れた少年に目を付けました。その男の子は1985年生まれで、そして、その両親の名前がなんとフランシスコ・ヒタとマリア・トレスだったのです!

少年がラマ・イェシェと非常によく似た振る舞いをし、また、多くの物の中からラマ・イェシェの持ち物をすべて言い当てました。

輪廻転生を信じず、ラマの警告が当たる

では、もし、生き仏の生まれ変わりを寺院で育てなかった場合、どうなるのでしょうか?

実際、このようなケースもありました。子どもが生き仏の生まれ変わりだと分かりましたが、家族は我が子を手放したくないため、ついにラマからの警告が実現したのです。

ラマ・ギャルン・チョン・ゲシェが雅安(があん)市で説法していたある日、雅安の仏弟子がラマに見てもらいたいと、10歳くらいの少年を連れてきました。

現地の人々の話によると、この少年が2歳の時、数人のラマがやってきて、生き仏の生まれ変わりであるため、寺院に連れ戻したいと申し出ました。

当時、この少年の家族は子どもを手放したくなく、輪廻転生も信じていなかったため、頑固として拒否しました。

何度申し出ても拒否され、無理強いはできないので、仕方なくラマたちは寺院に戻ることにしました。

去り際(ぎわ)にラマたちは、子どもの父親にこのように忠告しました。

「密教では、生き仏の生まれ変わりの子どもが法を受け継ぐことができなければ、魂はこの体を離れて別の家に生まれ変わることになります。ですのでお子さんは12歳までしか生きられないでしょう。もし、その時、われわれに引き渡したいと決心すれば、手紙を送ってください。迎えに参ります」

現地でこのことを知らない人はいません。

事情を知ったラマ・ギャルンは非常に澄んだ目をした少年を見て、「この子は本当に生き仏の生まれ変わりだ。しかし、受け継ぐべきものを受け継いでいないのに、どうして長生きできるというのだろうか」とため息をつきました。

それから2年が経ち、12歳になった少年はある日、風邪をひきましたが、薬を拒否し、日に日に弱くなっていました。そして、ある日、母親に「もうじきお寺に帰る」と言い、そして、「ここにいたくない」と、母親に支えてもらいながら外に出て、玄関先で座って亡くなりました。

生き仏の生まれ変わりや、輪廻転生、幽体離脱、タイムスリップなど、一見信じられないような話ですが、実は全て本当にあったことばかりです。

(つづく)

詳しくはEPOCH TVをご覧ください。

https://www.epochtimes.jp/2022/11/124704.html

関連記事
 【大紀元日本3月13日】3月10日は、チベット蜂起の記念日だ。51年前のこの蜂起が、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(74)のインド亡命に発展した。 10日、亡命政府のあるダラムサラで亡命5
 四川省・成都のチベット人(Getty Images)【大紀元日本2月26日】英紙ガーディアンは22日、中国政府が意図的にチベット人居住地でのキリスト教伝道を容認していると報じた。容認の背後には、功利
仏教の世界には、厳しい修行を積み、自分をミイラ化する「即身仏」が存在する。死後数十年、あるいは数百年経っているのに身体が滅びず、生き仏として人々から祀られている。特殊な加工をしていないにもかかわらず、身体が滅びないのはなぜか。科学者たちがある僧侶の即身仏を分析した。
芸術は人類文明の結晶であり、歴史を振り返ってみれば、芸術の起源は信仰と深くつながっています。古来、人々の神への敬虔な信仰心は、他の感情を超えていたため、芸術の初期段階では、天国の神仏を表現する作品が最もよく見られます。
「敦煌莫高窟」(とんこう ばっこうくつ)、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫といえます。