1分で読める故事成語(大紀元)

「天下無双」(てんかむそう)【1分で読める故事成語】

この四字熟語の出処は2箇所あります。

1つは、秦国と魏国が戦っている頃の事です。魏王は信陵君を将軍に任命し、信陵君は魏・斎・韓・楚・燕・趙の六国連合軍を率いて、秦軍を破ります。そして、勝利に乗じて追撃し、秦軍を函谷関まで追いつめました。

当時、信陵君の名は各国に行き届き、兵法を熟知していたため、各連合国は自国内の兵法書を信陵君に見せてアドバイスをもらいました。後に、これらの兵法相は『魏公子兵法』と呼ばれ、信陵君の人柄を「天下無双」と褒め称えるようになったのです。

2つ目の出処ですが、昔、江夏の地(現在の武漢市)に黄香という男の子がいました。早くに母親を亡くし、父親と2人で支え合いながら生きてきました。貧しい暮らしでありながらも、黄香は父親を非常に大切にして敬っていました。

真夏の日には、団扇で父親が使っている筵(むしろ)を冷ましてから寝かせ、真冬の日には、自分が先に布団に入り、暖かくなってから、父親を寝かせました。そのため、父親も黄香を非常に大事にし、多くの知識を教えました。

黄香が大人になって官職に着いたある年に、水害が発生し、当地の民は洪水によって帰る家を失いました。黄香は自分の給料と家財を被災者たちに分け与え、そして、自ら復旧作業に加わり、地域の住民たちに大いに称賛されました。

当時の都では、「天下無双、江夏黄香」という言葉が流れていたのです。

「天下無双」とは、世の中に釣り合うものが存在しないほど優れている、「唯一無二」の存在という意味です。

関連記事
 【大紀元日本12月13日】魏晋南北朝時代(紀元439–589年)は、戦乱に満ちた時代でした。中国は分裂し、様々な将軍がそれぞれ数10年ほど支配しましたが、後継者に権力を禅譲することができ
華やかな唐(618~907)の前に、隋(581~618)という短いながらも興味深い時代があった。
日本史上における中国文化の受容は、大陸から海を隔てた日本にとって、程よい春風であった。この点は、大国の文化的圧力という強風をまともに受けねばならなかった朝鮮半島と根本的に異なっている。文化とは総じて良いものであるが、その風当りによっては、花びらにも石つぶてにもなる。
ボタン科の落葉低木で、原産地は中国。日本に渡来した8世紀頃には薬用として栽培されていました。その後、則天武后も愛でたといわれる牡丹は「花の王」として親しまれ、日本でも数々の園芸品種を生み出しました。多くの品種は4~5月に花が咲きますが、二季咲きの寒牡丹、1~2月に開花する冬牡丹もそれぞれ茶席に華を添えます。牡丹園は各地にありますが、島根県の大根島や奈良県の長谷寺が有名。根の皮を日干しして乾燥したものは牡丹皮(ぼたんぴ)と呼ばれ、生薬として使われています。
美しい鳳凰の飛来は吉兆と見られているが、雑羽の鳥や黒山のようなカラスが現れるなら、史書五行志の中では鳥や虫の罪の一つと見られている。中華文化は神・人を一とした中心思想を伝承している。