【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (3)

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(続き)

ゴルバチョフの「中国との結び」

中国共産党はソ連の弟であり、中国はソ連崩壊後、世界に残る最大の共産主義国家です。 ソ連最後の指導者であるゴルバチョフ氏もまた、中国に難解な結び目を残していきました。

北京とモスクワの関係は1950年代に崩壊し、長い間相互訪問はありませんでした。1989年6月4日の天安門事件の前夜、開放と政治改革を唱えたソ連共産党書記長ゴルバチョフの北京訪問により、両国の関係は融和されました。 彼の平和的な政策により、中国は北方国境の軍事的圧力を緩和することができ、何百万人もの中国軍の武装解除につながったのです。

ゴルバチョフ氏は北京での演説で、「経済改革は、政治体制の抜本的な改革に支えられない限り、うまくいかないだろう」と言いました。 ゴルバチョフ氏の訪問は、天安門広場の学生たちを刺激し、彼らを「民主主義の大使」と呼んで民主的な改革を呼びかけました。

ゴルバチョフ氏は当時、中国共産党指導部の中で最も学生に同情的で、民主化を推進した趙紫陽との会談で、社会主義国の一党独裁制を放棄し、多党制を実施する可能性について率直に語ったといいます。 しかし、彼の訪問直後、中国の学生運動は鄧小平によって強制的に弾圧され、趙紫陽は学生への同情から罷免され、自宅軟禁状態になりました。

現在の共産党の指導者である習近平氏は、ソ連の崩壊を「ソ連に男はいなかった」と嘆き、ゴルバチョフが一言でソ連を葬り去ったことを嘆きました。
習氏の1期目当初、中国共産党が制作したソ連崩壊のドキュメンタリー映画は、ゴルバチョフ氏が西側式の民主改革を導入し、現体制を維持できなかったと非難しました。 習氏はまた、中国政府関係者に旧ソ連の教訓を「思い出す」必要性を喚起しました。

習近平氏はプーチン型の強者になり、プーチン氏のモデルを模倣して中国を統治したいと考えていました。プーチン氏はソ連崩壊前にソ連共産党を離れたのです。 ゴルバチョフ氏は、英国紙「ガーディアン」の独占インタビューに応じ、もっと早く共産党を離党していればというのが最大の後悔であると語りました。

中国共産党は「閉鎖的で硬直した古い道も、旗色を変える邪道も歩まない」と繰り返し発言し、その将来はまだ不透明です。 ゴルバチョフ氏によるソ連崩壊の「影」が、中国共産党幹部の心の中に結びついたままです。 神も仏も信じないと豪語する中国共産党は、ゴルバチョフ氏の死さえ不吉な兆候と受け止めています。

「ゴルバチョフ」というワードが最近、中国のソーシャルメディアで流行語になり、2日足らずで7億人の読者を獲得しました。 中国のネットユーザーである張国慶さんは、「全人類を解放する」ための闘争という考えを捨て、人類共通の価値観に置き換えたゴルバチョフ氏の改革と新しい考え方を称賛する記事を執筆しました。

民主化運動の指導者である呉祚来氏は、ゴルバチョフ氏が中国の民主化にとって良いモデルであると考えています。 このトップダウンの政治改革が、最もコストがかからず、国と国民にとって最も有益だとしています。

(終わり)