韓信――兵仙(7)武術の真髄を極めた韓信は、最後の抵抗で部下を説得した【千古英雄伝】
(続き)
漢の王の劉邦が大将軍を任命することを発表し、全軍の将軍たちは自分が任命されると密かに喜んでいました。しかし、結果的に韓信が大将軍に任命され登壇すると、軍全体が騒ぎになります。彼らは当時、韓信の優れた軍事戦略を知らなかったため戸惑いました。なぜ、ほとんど成果をあげていないこの見知らぬポーン(チェスの駒の中で最も価値が低い歩兵のこと)が、国王に気に入られたのかと騒ぎ出します。その後、次から次へと戦いの中で全てを勝利した韓信に、軍内の兵士たちは徐々にその答えを見つけることになります。
三秦王朝を樹立し、滎陽(けいよう)を救い、魏王朝を打倒した韓信は、完全かつ慎重な戦略展開と予想外の巧妙な戦術を通じて、漢軍を完全無敵に導き、軍の高い名声を確立しました。韓信の軍隊は成長、成熟を続けましたが、劉邦は常に項羽と対峙するという口実を使って、せっかく育てた韓信の軍隊のエリート兵と将軍を絶えず、ほかの部隊へ移動させていました。韓信は非常に優れた軍事戦略者ですが、せっかく自ら育て上げた優秀な人材を次々と他へ掘り出されたため、韓信の下には新兵三万人しかいませんでした。
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