中国に現存する最古の肉身は、唐の時代の禅宗の第六祖である慧能の真身である(コンタム Design / PIXTA)

慧能の千年不壊の真身(しんじん)【未解決ミステリー】

中国に現存する最古の肉身は、唐の時代の禅宗の第六祖である慧能(えのう)の真身です。六祖というのは中国禅宗の開祖・達磨大師から数えて6番目の祖師に当たります。

慧能の真身は現在、中国広東省の南華寺に祀られています。慧能は713年に圓寂しましたが、1300年以上が経過した今でも、彼は依然として座禅の姿勢を保ったまま、その顔は厳粛で穏やかであり、まるで長い入定の状態であるかのようです。

中国広東省の南華寺、慧能の即身仏(パブリックドメイン)

民間にも多くの高僧の真身が腐敗しないという不思議な話が広く言い伝えられています。では、人体は本当に自然の法則を超越して永久に保存できるのでしょうか。 

慧能――金剛不壊の身体

慧能の伝記は中国の経典『六祖壇経』の中に記録されています。

経典の記載によると713年の7月8日、慧能は弟子たちを呼びよせ、自分が圓寂する時期を伝え、最後の説法をしたといいます。

そして8月3日の深夜、慧能は「我は行く」と一言だけ言い残して圓寂しました。その時、慧能は76歳でした。当時、禅房の中は不思議な香りが漂い、屋外には白い虹が地に落ち、木々までも白く変わったといいます。そして動物たちは悲しみに泣き叫び、天地万物が慧能が離れ去ったことを悲しんでいるようだったといいます。

慧能は生前、「自分は死後、首が盗まれる劫難がある」と言っていたため、弟子たちは塔に埋葬する前に慧能の首を保護するために、鉄と漆で貼り重ねて保護しました。その際にも奇跡は起き、塔の中から突然、雲に届くほどの万丈の白い光が現れ、3日後にようやく消えたのでした。

記録によれば、慧能は当時、高温多湿で物の劣化や腐敗の進みが極めて速い広東省に住んでいました。それなのに、慧能の真身は防腐処理をしていないのにもかかわらず、依然として完全な状態のままでいられること自体、とても不思議なことではないでしょうか。

文化大革命時代に破壊された慧能の真身

慧能は圓寂した後、生前の言葉とおり、その真身は1回は首が折られ、2回も指が切断され、3回にわたり腹部を裂かれる等、度重なる劫難を経てきました。今日まで保存されただけでも実に容易ではなかったのです。

『新編曹溪通志』の記載によれば、「文化大革命の間、紅衛兵らは慧能をはじめとする3体の真身を野蛮に取り出し、まるで生きている人を拷問するかのように市中を引き回し、吊し上げにし、さらには燃やそうとしていた」というのです。

文化大革命の最中、真身を人工の模造品と疑った紅衛兵らが慧能の真身を解体し、真身の胸から背中にかけてお椀ほどの大きな穴を空けたのです。中から内臓と骨が出て来たので、真身は奇(く)しくも本物であることが証明されました。

慧能の内臓と霊骨(れいこつ)は無残に地面に捨てられ、その惨状を目の当たりにした佛源和尚は、命の危険を冒して、慧能の霊骨を集めて、九龍泉の巨木の下に埋めました。

ついに1979年、佛源和尚はやっと霊骨を隠したことを公表でき、慧能の霊骨は再び日の目を見ることができるようになりました。

しかしながら、残念なことに慧能の霊骨もカビが生えてしまいましたが、処理後に真身の体内に戻されました。このようにして、慧能の千年の真身が空前の惨禍を経た後にようやく揃い、今日の寺院で見られる姿となったのです。

また、佛源和尚が当時、慧能らの真身の霊骨を密かに集めていた時、なんと、慧能の骨の色は金色に輝き、硬い上にずっしりと重く、まるで金のようだったといいます。

仏教が世に伝わった当初、僧侶たちの多くは火葬法を使用し、遺体が焼却された後、不思議な舎利子を残していきました。そして漢の時代以降、徐々に仏教は中国にも伝わり、中国の習慣と融合して、僧侶たちは圓寂後に土葬の方法も用いるようになりました。そうして人々は「修行者の肉身は腐敗しない」という新奇現象を徐々に発見したのです。

これまで例に挙げた古今東西の多くの実証は、人々に精神領域に存在する現象を探求する扉を開けてくれました。つまり人間は修行を経て、道徳を向上させると同時に、肉体が腐敗しない領域に達することができるのです。

詳しくはEPOCH TVをご覧ください。

https://www.epochtimes.jp/2021/06/107482.html

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