韓信――兵仙(11)韓信はその名前通りに、義を山のように重く受け止め漢の時代を築く【千古英雄伝】
(続き)
龍且(りゅうしょ)は「濰水(いすい)の戦い」に敗れ、斉の国は平定され、世の大きな流れの方向性は非常に明確になりました。楚と漢の最終決戦が目前に迫り、人々は徐々に、楚と漢の覇権争いの本当の主役は項羽や劉邦ではなく、比類のない軍事技術と戦略を持つ将軍、韓信であることがはっきりと見えてきました。彼の一挙手一投足は歴史の生命線に関わっています。
当時の人々の分析と同じように、項羽と劉邦の運命は韓信の手中にありました。韓信が漢に寄ると漢の勝利になり、楚に寄れば楚の勝利になることは明らかでした。もう一つの選択肢は、自ら王になるというものでした。そして楚と漢で天下を分ける。三つの人生の出口と歴史の重大な瞬間に直面して、韓信はどのような選択をするのでしょうか?
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戦国時代の末期、割拠していた諸侯国に取って代わり、秦の始皇帝は天下統一を果たしました。しかし、始皇帝は在位三十七年、巡行中に沙丘(訳注:現在の河北省邢台市広宗県)で急逝しました
春秋時代の斉の宰相である晏嬰は非常に口弁で、人に執着を放下させ、考えを変えさせることができ、正しい道に導くこと […]
「不滅の軍神」として知られる韓信は、楚漢の覇権争いにおいて間違いなく最も有名な主人公でした。 5年で、彼は漢王朝が世界を征服するのを助け、秦王朝末期の英雄間の紛争の混沌とした状況を終わらせました。英雄は乱世から生まれると言われていますが、韓信の登場は偶然ではなく、10代の頃から常人とは違う言動、野心を示していました。
韓信は楚漢の覇権争いで、少ない兵力で多くの勝利を収め、陳倉の秘密の渡河、木罌船での渡河、背水の陣、趙の破壊など多くの戦いで奇跡を残しました。特に「濰水の戦い」は、楚と漢の立場を根本的に逆転させ、楚軍を水没させる奇跡を起こしました。