君子の謙虚【伝統文化】
宋の粛王と沈元(しぇんげん)が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけました。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返しますが、傍らを歩いている粛王は気にもとめない様子でした。
宿に戻った沈元は、自分の才能を顕示するため、ただちに筆を執り石碑の文章を紙に書き始めました。しかし覚えていない14箇所は埋めることができません。粛王はそれを見て、筆を執って空いていた箇所を埋めてから、5箇所ほど間違ったところを修正しました。修正し終えてから、粛王はその場にいた人と別のことについて語り始め、いささかも傲慢な気色を顔に現そうとしませんでした。これをみて、沈元は大変驚いて、粛王を敬服するようになるのです。
「自分は他人よりも勝っていると誇示してはならない。なぜなら、他人は自分より勝っているからである」ということわざは、全くその通りです。
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一、君子の徳行
孔子曰く、「顔回は君子の徳行を四つ持っている。一つ目は仁義を貫く事、二つ目は人の勧告を素直に受け入れる事、三つ目は官職に慎重で謙虚である事、四つ目は日頃の行いを慎んでいる事。史鰍も君子の徳行を三つ持っている。一つ目は官職がなくても上の者に忠誠を尽くす事、二つ目は祭祀を行わなくても神様を尊敬する事、三つ目は自分に厳格であり、他人に寛容である事」
北宋の時代、廷臣の家に生まれた韓琦(かんき)は、三人の皇帝を補佐し、宰相まで上りつめた。寛大で高潔な人物として人々から尊敬され、「韓公」と呼ばれていた。
もし、結婚前に婚約者が身障者だったり、容姿が醜かったり、長く病気を患っていたりしていたら、皆さんはどうしますか?この問いに対して、多くの古人たちが敬服するべき答えを出しています。
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