韓信(大紀元)

韓信――兵仙(12)十年潜んでから韓信と項羽の最終決戦が始まる【千古英雄伝】

項羽と韓信、一人は強力で覇気横暴な王者であり、もう一人は敵の動きを予測し、神のように兵士を使う仙人です。秦王朝の滅亡後の数年間、それは楚と漢の皇帝の間の戦いというよりも、項羽と韓信の間の華麗な決闘でした。この垓下の覇権争いは、ついにこの時代の歴史に力強い終焉をもたらしました。

大戦前夜の紀元前202年9月、度重なる敗戦に劉邦は和平を提案し、項羽と天下を平等に分けて「鴻溝の盟約」を締結しました。項羽は協定に従って劉邦の家族を返し、軍を率いて東へ戻りましたが、劉邦は専門家謀士の助言を受けて協定を破棄し、古陵で楚軍に反撃しました。その結果、項羽は激怒し、劉邦は惨敗を喫したため、孤立した城に固執せざるを得なくなり、再び将軍の韓信に助けを求めました。

漢軍が出陣して以来、韓信はあらゆる戦いで無敵でしたが、何の報酬も得られなかっただけでなく、戦うたびに獲得した土地と兵力を劉邦に奪われてしまいました。しかし、大志を抱き、心が広い韓信は個人の損得には頓着せず、終始自分の心の道徳を保持していました。命令を受けると、それまでの恩讐に関係なく、ただちに10万の兵を南に派遣して包囲を破り、項羽の首都、彭城(ほうじょう)を一気に占領し、楚軍を急いで撤退させ、包囲を破りました。

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 【大紀元日本12月3日】【四面楚歌 Sì miàn chǔ gē】(しめんそか)。四方から楚の歌が聞こえてくる。→敵の中に孤立して、味方がいないこと。
マージャンをたしなむ方ならおわかりでしょうが、「国士無双」とは、字牌7種と一九牌6種を1枚ずつ揃え、そのうちのどれか1種をもう一枚加えて雀頭(ジャントウ)としたあがり方で、かなり点数が高くなります。
死物狂いとなった楚軍は、稲妻のようなスピードで秦軍を取り囲み、全軍が勇猛で多勢の敵に当たりました。項羽は兵士の先頭に立って奮戦し、楚軍は戦えば戦うほど勇気が出てきて、秦軍を恐怖に陥れて、九戦九勝しました
「不滅の軍神」として知られる韓信は、楚漢の覇権争いにおいて間違いなく最も有名な主人公でした。 5年で、彼は漢王朝が世界を征服するのを助け、秦王朝末期の英雄間の紛争の混沌とした状況を終わらせました。英雄は乱世から生まれると言われていますが、韓信の登場は偶然ではなく、10代の頃から常人とは違う言動、野心を示していました。
楚漢が覇権を争う前、項羽は40万の兵を持っているのに対して、劉邦はわずか3万の兵と馬で項羽の領地に赴きました。経歴的には、項羽は楚国の貴族であり、代々将軍として名声が高かったのに対し、劉邦はただの小さな亭主にすぎません。このような強力な敵を前に劉邦は、どのようにして弱者が強者を打ち破り、天下を統一することができたのでしょうか?