英雄の誕生、太極拳はなぜ無敵なのか?
元明時代、最も有名な道士は張三豊(ちょうさんぽう)であり、彼の最も有名な武道の技は太極拳でした。
中国武術は奥深く、外家拳と内家拳に分けられます。少林寺の外家拳は力強いことで知られていますが、張三豊によって、ゆっくりとした、円滑な内家拳法が誕生し、太極拳とも呼ばれました。いったい、この拳法はどのようにして生まれたのでしょうか?
古代において、道士は武術と心性を両方修練する伝統があったのです。最初に内家拳を記録しているのは、「王征南墓志銘」と呼ばれる文献で、70歳の張三豊が武当山で修行していたとき、ある日の夜、夢で武當山の主神である玄武大帝が彼の前に現れ、優れた拳法を彼に伝授しました。翌日、張三豊は100人以上の盗賊に襲われましたが、彼は非常にゆっくりで、穏やかな拳と掌を使って、100人と戦うことができたと言い伝えられています。
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太極拳は現在、健康法として、中国ではもちろん、日本でも多くの人に愛好されています。しかし太極拳は、本来、健康のために行なう運動ではなく、道家の修煉者である張三豊によって残された修道法であることをご存知ですか?ここで、張三豊が歩んだ修道の道を紹介しましょう。
ある日、ある若者が修練の志を立て、籠るための洞窟を探し始めました。ようやく手ごろな洞窟を見つけ、その中を精一杯綺麗に掃除し終えたその時、ひとりの老人が来て言いました。「あなたはまだ若いから、修練の時間が十分ある。しかし私はもう年をとっているので、早く修練しないと間に合わない。私にこの洞窟を譲ってもらえないだろうか」。
太極拳の動作は、非常に緩やかでゆっくりと見えます。しかし、それはこの空間において、肉眼で見える印象にすぎません。太極拳の修煉によってできた「功」(エネルギー団)は別の空間に存在しており、その「功」の動きはとても速いものです。この空間で手を出す前に、あちらの空間では功がすでに目標点に届いてしまいます。
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