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年賀状の由来とは?

旧正月に飾る「年画」のその由来とは

年画」とは旧正月に掛ける吉祥(きっしょう)で、めでたい気分を表す絵のことです。門や家の入り口、戸や居間の壁に貼る版画(手書きによる彩色だけのものもある)をさして言いいます。これは中国の民間絵画芸術の一つです。古くは、尭・舜(ヤォ・シゥン)という、中国の神話に出てくる2人の君主で、共に聖人と称された人物の絵が有名で、その時代から既にあったそうです。「年画」は古代の民間の家の扉に描かれた絵画に由来しています。

中国の南の時代から、毎年の元旦には家の守り神として、2人の武将が、扉の左右に描かれていたそうです。後の唐の時代の唐太宗(当時の皇帝)は、寝室の外で化け物が泣きわめくために、夜は眠れないと臣下に訴えました。それに対して、武将・秦叔宝(チン・シュバオ)と、胡敬徳(フー・ジンダ)が扉の前で警備すると申し出ました。その晩、化け物の泣きわめきがなく唐太宗はゆっくり眠ることができたというのです。それから、唐太宗はドアに武将2人の絵を描かせ、厄除けにしました。これが後世に伝わった家を守る神の「門神」です。

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宋の時代に入ってから、「年画」は木版画に発展し、現代まで至り、約300年の歴史があります。伝統的な「年画」は木に刻み色をつけたもので、シンプルなラインで描かれて、色が鮮やかです。絵の代表的な内容としては、農作物の豊作、農耕をする牛、赤ちゃん、風景、花鳥、などが多くあります。また、北京の北西地方の「年画」は大胆で力強い描き方で有名です。

一方、天津の「年画」は、精巧でしなやかな描き方が特徴です。山東省濰県及び蘇州の「年画」はシンプルで素朴な描き方が有名で、漳州の「年画」は黒の地色に鮮やかな色彩・色どりが個性的です。仏山の「年画」は、地色の赤に黒を重ねる手法で、独特な雰囲気を醸し出した作法です。

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