私たちはみんな、実際にはそれほど心配しなくてもいいことを、必要以上に心配していますし、それを素直に認められる人もあまりいません。
これは私自身にも当てはまります。外では勇敢なふりをしたり、自信があるように見せたりしていますが、内心ではたくさんの不安を抱えています。親しい人たちと本音で話す中で、外見とは裏腹に、誰もが多くの心配を抱えていることがわかりました。
つまり、私たちは「心配する人たちの世界」に生きているのです。そしてその多くは、自信という仮面の裏に隠れています。
子どもの頃、「心配ごとの99%は実際には起こらない」という言葉をよく聞きました。私は統計的な思考をするタイプだったので、自分の人生でそれがどのように当てはまるかを、なんとなく心の中で記録していました。実際に何%だったかは言えませんが、「心配した通りに物事が悪くなった」ことはほとんどありませんでした。
私が心配していたのは、脳内で想像した最悪のシナリオばかりでした。そしてさらに悪いのは、心配しても何の役にも立たなかったということです。心配が心の健康や体調に悪影響を与えることも分かっています。
心配は、単に割に合わないのです。もし、何かについて心配するのをやめたらどうなるでしょう? 心配しないことでリスクが増えるわけではありません。出来事は、心配の有無にかかわらず、起こるべきように起こります。むしろ、心配がないほうが、前向きな気持ちでいられる分、結果が良くなる可能性もあります。楽観的でいることは、成功と相関関係があるからです。
では、どこから始めればいいでしょうか?
心配するのをやめてもいい5つのこと
ここでご紹介する5つのテーマについては、思いきって無視してみることをおすすめします。心配しないと決めて、気が散ったときには意識して考えを切り替えてみてください。きっと、すぐに気持ちが軽くなるのを感じられるはずです。
1.他人があなたをどう思っているか
あなたのことを本当に理解している人は、ごくわずかです。人は、あなたの動機や背景までを正確に判断することはできません。そうした人たちの意見に、重きを置く必要があるでしょうか? 本当に大切なのは、あなたのことをよく知っていて、たとえ耳が痛いことでも真実を伝えてくれる人たちの意見です。信頼できる友人の声だけが、気にする価値のある意見です。
2.完璧であろうとすること
私にも、自分が得意なことだけをやるようになっていた時期がありました。ですが、それは成長を止めてしまう危険な考え方ですし、人生を狭く見てしまう恐れのある生き方でもあります。人生は、挑戦し、探求し、体験するためのものです。芸術、スポーツ、奉仕活動(サービス)の喜びは、専門家だけのものではありません。愛情をもって取り組むアマチュアこそが、人生を豊かにする主役になれるのです。
3.最新の流行やファッション
私はミニマリスト(必要最低限の物だけを持つ生活をする人)として、物を減らすことで、自分自身をより深く注げる生き方を選びました。それは「広さ」よりも「深さ」を選ぶ生き方であり、自分自身にも、家族にも、豊かさをもたらしてくれました。こうした「少ないものを大切にする生活」では、流行やトレンドに気を取られる余地がありません。私の関心は、長く価値を持ち続けるものに向いています。それは、信仰(信じる心)、友情、人を助けること、そして愛です。
4.小さな不便やイライラ
私はかつて「アンフラッパブル(unflappable)」という言葉を聞きました。これは「落ち着いていて、簡単には動揺しない人」を表す言葉です。この言葉は、私の心に強く残りました。それは、私が人に対して最も尊敬する資質の一つだったからです。アンフラッパブルであるとは、日々の小さな不便やイライラに動じずにいられるということです。誰かに怒ったり、イライラしたりするのではなく、状況を受け入れて、できることをして前に進む。そうした生き方は、品格と余裕のある、美しい生き方だと思います。
5.自分ではどうにもできないこと
最後に紹介するのは、おそらく最も大きなカテゴリーです。世の中には、自分が直接影響を与えられること、少しだけ影響できること、そしてまったく影響できないことの3つがあります。常識的に考えれば、自分の影響力の範囲に応じて感情のエネルギーを注ぐのが理にかなっています。そして、それ以外のことについては、心を静めて受け入れることが大切です。
私は、最初から心配をしないという、より幸せな道を選ぶことを提案します。そして、自分に託されたほんの少しのことに、精一杯の努力を注ぎましょう。
(翻訳編集 井田千景)
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