編集者注:コラム「神韻観止」を新設した。「観止」の二字は、もともと季札が周の楽舞を観た故事に由来する。季札が観たのは、単なる音楽や舞踊の美しさではなく、楽を通して徳を見ることであった。舜の楽舞『韶箾』を観て、その徳が天地のように広大であることを感じ、「観止矣(これ以上のものはない)」と感嘆した。したがって、「神韻観止」が見つめようとするものも、舞台上の芸術美だけではない。礼楽の美を通して、そこに表される宇宙の最高基準「真・善・忍」の精神を感じ取ることである。同時に、皆さんにもそれぞれの思いを語り、神韻を観た後の気づきや感想を分かち合っていただきたい。
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五千年とは、一つの文明にとって何を意味するのだろうか。
世界には、かつて数多くの輝かしい古代文明が存在した。メソポタミア文明は粘土板と都市国家を残し、古代エジプトはピラミッドと神殿を残し、古代ギリシャは叙事詩、哲学、芸術を残した。それらの遺産は今日なお人類に影響を与えているが、かつての言語、信仰、制度、社会生活は、長い歴史の中で程度の差こそあれ断絶や変容を経験してきた。
しかし中華文明は、極めてまれな連続性を保ちながら今日まで歩み続けてきた。王朝は幾度となく交代し、国土の支配者も繰り返し変わり、戦争、災害、離散も絶えることがなかった。それでも漢字は伝わり、詩書は伝わり、礼楽や衣冠も受け継がれた。天を敬い、徳を修め、神、道、天命について語る記憶もまた、世代から世代へと受け継がれてきた。
なぜなのか。
「五千年間途絶えなかった」という事実以上に問うべきなのは、この五千年の間、いったい何が伝えられてきたのかということである。
もし古い器物や技術、生活様式を後世に残すことだけが目的であったなら、そうした形式だけでは、なぜ一つの文明がこれほど長く存続できたのかを十分に説明できない。文明が本当に受け継いでいくものとは、決してその形式だけではなく、生命の最も根本的な問いに対する答えである。
人はどこから来たのか。なぜこの世に来たのか。得失や苦難の中で、人はどのような選択をすべきなのか。善悪を見分けることはなぜ重要なのか。そして生命は最後にどこへ向かうのか。
こうした問いをたどりながら中華文化の奥へ入っていくと、浩瀚な詩書礼楽、神話伝説、歴史物語の下に、五千年の歳月を貫く一筋の伏流が流れているかのように見えてくる。それは時に姿を現し、時に隠れながらも、一度も本当に途絶えたことはなかった。
ある時は「天」と呼ばれ、ある時は「道」と呼ばれる。ある時は詩人の頭上に浮かぶ一輪の明月となり、ある時は山へ帰っていく隠者の後ろ姿となる。ある時は「返本帰真(本来の真なる自己に返る)」という言葉の「返」の一字に宿り、またある時は『西遊記』で九九八十一難を乗り越えた末の功成円満として描かれる。
それは一つまた一つと王朝を越え、さまざまな表現へと姿を変えながらも、常に同じ方向へ流れ続けてきた。
中華五千年の文化において本当に途絶えなかったものとは、おそらく、この精神の伏流なのである。
一、人間界から天へと通じる道
中国人の文化は、天を仰ぎ見ることから始まった。
伝統的な中国人の世界において、「天」とは決して頭上に広がる空だけではなかった。人には天命があり、物事には天意があり、善悪には天理がある。帝王は天子と呼ばれ、人として生きるうえでは「敬天知命」が重んじられ、人と天地との最高の調和は「天人合一」と呼ばれた。
こうした天への畏敬は、制度や古典の中に存在しただけではない。庶民の日常生活にも深く入り込み、中国人が世界を理解し、自らの生命を位置づける基本的なあり方となっていた。
古代の文明起源にまつわる伝説も、すべて神と結びついている。盤古が天地を開き、女媧が人を造り、伏羲が八卦を描き、神農が百草を嘗め、倉頡が文字を造り、黄帝が華夏文明を開いた。
今日、こうした上古の伝説をどのように理解するにせよ、そこには重要な文化的記憶が保存されている。すなわち、中華文明はその始まりから、自らの源を天と神に結びつけてきたということである。文明の起源から人間の道徳観、生命観に至るまで、天と神は常にそこに存在していた。それが中華神伝文化の最初の基調を形作った。
もし生命に来たところがあるのなら、人間界に来ることは、単に数十年という時間を過ごすためだけではない。生命に来たところがあるなら、帰るところもあるはずである。
こうして「天」は中国人の道徳の中へ入り、「道」は中国人の生活へ入り、「徳」は一つの生命を量る重要な尺度となった。人は地上で暮らしながらも、心の中では常に、自分の頭上には天があることを知っていた。
この生命の方向性は、その後、儒・釈・道によってそれぞれ異なる形で保存されていった。
儒家はまず、人間社会の中で立派な人間になることを教えた。『大学』では格物、致知から誠意、正心、修身へ、さらに斉家、治国、平天下へと進む。学問は最終的に人の心と行動に落とし込まれなければならない。父子、夫婦、君臣、朋友という具体的な人倫関係も、すべて自己修養が行われる場となった。
道家は、複雑な人間社会の得失から人の目を天地と生命の本真へ向けた。清静、無為、少私寡欲、返本帰真。その「返」という一字は、生命がどれほど遠くまで歩んだとしても、なお帰ることのできる本来の場所があることを示している。
仏家が中国へ伝わると、修煉、覚悟、彼岸、輪廻、生死を超越するという観念が、さらに中国人の精神世界へと入っていった。
三家の道は同じではない。しかし、それらは共に中国文化に一つの非常に特徴的な生命の方向性を形成した。
人は世間で生きていても、ただ外に向かって追い求めるだけではいけない。塵世に身を置きながらも、常により高いところへ向かって歩むことができるのである。
この方向性は経書の中だけにとどまらず、詩書礼楽、そして琴棋書画にも入り込んだ。
琴が「雅」とされたのは、単に音色が美しいからではない。その根底には「和」がある。人は琴の音の中で心を静め、息を整え、人と天地との呼応を感じる。
囲碁は一枚の盤と白黒二色の石だけで、陰陽、虚実、進退、取捨、全局を展開する。人は得失の間で局面を見渡し、止まることを知り、捨てることを学ぶ。
書法は一点一画を通じて人の心性を磨く。「書は人なり」といわれるように、突き詰めれば筆墨に現れるものもまた、その人の気質と品格である。
中国画も、形が似ていることだけを最高の境地とはしない。山には気があり、水には勢いがあり、竹には節があり、蘭には幽玄があり、梅には骨がある。画家が天地万物を借りて探し求めるものは、最後には人の精神的境地なのである。
琴は人に「和」を教え、棋は大局を見ることを教え、書は心を正すことを教え、画は境地を見ることを教える。
表面は「芸」であっても、その深奥ではすべて「道」へ通じている。
文学も同じである。屈原は追放されながらもなお天地を求索し続け、陶淵明は官界から帰り「帰去来兮(さあ、故郷へ帰ろう)」と詠んだ。その声は千年以上の時を越えてなお人の心を打つ。李白は青天の明月を仰ぎ、その詩には仙人、天門、銀河が現れる。蘇軾は生涯に何度も左遷されたが、苦難によってその生命が狭くなることはなく、むしろその文章は次第に天地のような広がりを持つようになった。
なぜ中国の詩歌には、月、雲、山、水、帰舟、故郷がこれほど好んで詠まれるのか。
なぜ「帰」という一字が、中国人の精神世界にこれほど繰り返し現れるのだろうか。
帰郷、帰田、帰隠、帰真、帰去。
一つの「帰」という字が、数千年にわたって書き続けられてきた。
それはもしかすると、中華文化の深奥において、人が本当に懐かしんできたものが、この世の一つの故郷だけではなかったからかもしれない。そこには、もう一つの、さらに遠い故郷についての記憶が、かすかに保存されていたのである。
苦難もまた、そのために異なる意味を持つようになった。
蘇武は長年拘束されても屈服せず、岳飛は栄辱と生死の間で忠義を守り、文天祥は死を前にして「留取丹心照汗青(丹心を留め取って 汗青を照らさん:不変の忠義を遺して、歴史の鑑を明るく照らそうではないか)」と詠んだ。
彼らの多くは、世俗的な意味では「成功者」ではなかった。それでも千百年にわたり中国人が彼らを敬い続けてきたのは、伝統文化が一つの生命を量る尺度として、成功と失敗だけでなく「徳」を重んじてきたからである。
『西遊記』は、この生命の道をさらに鮮明に描いている。唐僧一行は西天へ経典を取りに行くのであるが、必ず九九八十一難を経験しなければならない。
目的が数巻の経典を手に入れるだけなら、なぜそれほどの苦難を経験しなければならないのか。
それは、苦難そのものも道の一部だからである。
孫悟空は天にも通じるほどの力を持ちながら、旅の中で繰り返し磨かれ、自分自身を変えていかなければならない。猪八戒は食欲、色欲、怠惰、貪欲と何度も向き合う。唐僧もまた、信と疑、生と死の試練を繰り返し経験する。
最後に得たものは真経だけではない。変わったのは生命そのものでもあった。
詩書礼楽は人を教え、琴棋書画は人を養い、忠孝節義は人を立て、歴史と苦難は人を磨く。そして仏道の修煉文化は、さらに直接的に人へ告げる。
生命は修煉を通して返本帰真することができる、と。
ここまで来て初めて、数千年にわたり流れ続けてきたあの精神の伏流が、実は一つの字を指し続けていたことに気づく。
――「帰」である。
中華文化が表面で描いているのは人間界である。しかし、その深奥では絶えず人にこう語りかけている。
人間界を、生命の最後の故郷だと思ってはならない。
塵世から本真へ帰り、人間界からより高いところへ向かう。
もし人の生命が本当に天から来たのであれば、その帰路が最後につなぐものは、人間界と天なのである。
一本の天への道である。
二、天への道はいかに断ち切られたのか
しかし近現代になると、数千年にわたって続いてきたこの文化の脈絡は、大きな断絶に直面した。
特に中国共産党(中共)が政権を樹立した後、無神論と階級闘争が公式イデオロギーとなり、伝統信仰、宗教、礼教、そして多くの文化的習慣が継続的に改造と批判の対象となった。
文化大革命では「破四旧」が中国全土を席巻し、寺院、仏像、古籍、碑刻、祖祠をはじめ、大量の文化遺産が破壊された。伝統文化を担っていた多くの人々も深刻な打撃を受けた。
しかし、一つの文化財は、本当にただの「物」なのだろうか。
一つの古寺、一尊の仏像、祖先が残した一枚の碑、数百年続く祠堂。それらはもちろん物である。しかし、その周囲で暮らす人々にとって、それらは単なる物ではない。
それは、一つの民族が目で見ることができ、手で触れることのできる「記憶」なのである。
子供が祖祠の前を通り、古寺の鐘の音を聞きながら育ち、祖先が残した碑文を眺め、老人から数百年間語り継がれてきた物語を聞く。たとえ誰も「文化継承とは何か」と説明しなくても、その子供はおぼろげながら理解する。
自分より前には長い歴史がある。自分の生命の外には、さらに大きな天地がある。そして、自分は今日から突然始まった存在ではない、と。
だからこそ、寺院が壊され、仏像が砕かれ、祖祠が取り壊され、古籍が焼かれた時、破壊されたのは古い物品だけではなかった。
一つの民族が自らの目で見、自らの手で触れることのできた文化的記憶そのものに、巨大な断絶が生じたのである。
それと同時に、さらに深刻な破壊が人の心の中で起きた。
敬天は迷信として退けられ、神仏は否定され、因果、天命、修煉、返本帰真は別の解釈体系へ組み込まれた。人と天地、人と神、人と祖先との間に本来存在していた精神的なつながりも、再解釈され、さらには否定された。
一方では文化の「形」を壊し、もう一方では文化の「神」を否定したのである。
形を壊すとは、人が過去をますます見られなくなることである。
神を壊すとは、人が過去をますます信じられず、理解できなくなることである。
そして、さらに深い断絶とは、伝統文化を見る人間の「目」そのものが変わったことである。
今日の中国には、古装、古建築、詩詞、歴史を題材とした作品が不足しているわけではない。多くの時代劇や歴史ドラマは、衣冠、建築、礼儀作法に至るまで非常に精巧に作られている。
しかし、古人を理解する際に、依然として無神論、唯物主義、権力闘争、現代的な功利主義という枠組みに立っているなら、奇妙な光景が生まれる。
「外見は古代、魂は現代」
古人の敬天は政治的必要から生まれたものと解釈され、神仏への信仰は科学が未発達だったためとされる。忠義は利益計算へ還元され、修道や礼仏も、現実社会で挫折した者の精神的な逃避として説明されることがある。
衣服は古人のもの、宮殿も古人のもの、人物の名前も古人のもの。しかし、その人々の生活、選択、信仰を本当に支えていた天地観と生命観は抜き取られてしまっている。
したがって、最も深刻な文化的断絶は、古装が消えた時に起こるのではない。
人がすでに、非伝統的な思想体系によってしか古人を理解できなくなった時に起こるのである。
寺が壊れても再建できる。古籍が散逸しても整理できる。古装が失われても復元できる。
しかし、人間の思考の枠組み、価値判断の尺度、世界を理解する方法そのものが変わってしまったなら、古いものを再び目の前に置いても、人はそれをどう見ればよいのか分からないかもしれない。
一幅の山水画が今も博物館に掛けられている。人々は構図や筆墨、市場価値について語ることはできる。しかし、なぜ古人が幾重もの山と雲気の間に、ごく小さな高士を描くことを好んだのか、なぜ「林間に高人あり、笑語天外に落つ」という境地が憧れの生命境地とされたのかを、自然に理解できるとは限らない。
その絵の中へ本当に入るためには、「天人合一」とは何か、「修身」とは何か、「清静」とは何か、「高士」とは何か、「返本」とは何か、「道」とは何かを知る必要があるからである。
もし、そうした言葉の背後にある生命の内涵が人の心から消えてしまったなら――
「絵は残っていても、人はもう、その中へ入れない」
したがって、本当に断ち切られたものは、伝統文化の「形」だけではなく、伝統信仰への認識だけでもない。
さらに深いところで失われたのは、中国人が自らの文明を理解する能力である。
天、道、徳、善、因果、修煉、返本帰真――これらの漢字は今も毎日のように誰かが書いているかもしれない。しかし、その背後にある生命の内涵が理解されなくなれば、残るのは、見慣れているのにどこか見知らぬ文字の列だけかもしれない。
五千年文明の土地に生きる人が、こうして次第に根を失い、自分がどこから来たのか分からず、そしてどこへ向かうべきなのかも、ますます分からなくなっていく。
これこそが、「断ち切られた天への道」の本当の意味なのである。
三、なぜ五千年は、よりによって今日まで続いたのか
しかし、ここでさらに深い問いが現れる。
もし中華伝統文化が単に過去に属するものなら、なぜこれほど長い歳月を越えて、今日まで伝えられる必要があったのだろうか。
なぜ、これほど巨大な破壊を経験しても、最も古い言葉の数々は完全には消えなかったのだろうか。
「天」はまだある。「道」もある。「徳」も「善」もある。そして、数千年間書き続けられてきたあの「帰」の字も残っている。
『西遊記』も残り、詩書も残り、修煉、因果、天命、返本帰真についての文化的記憶も、今なお人間界の各所に散らばっている。
これほど長い継承によって残されたものは、明らかに過去だけではない。
今日の人々へ渡されるべき「何か」もまた、残されているのである。
改めて五千年を振り返ると、歴史はまったく別の姿を見せ始める。
一つ一つの王朝は、歴史の長河に次々と立ち上がる舞台のようである。帝王将相、文人、隠士、忠臣義士、修道人が次々と登場し、そして退場していった。
儒・釈・道は思想の基礎を築き、詩書礼楽は人の心を陶冶し、忠孝節義は善悪を判断する尺度を築いた。修煉文化は、生命が返本帰真できることを人に知らせ、神話伝説は、目に見えるこの人間界の外に、さらに高い世界が存在することを繰り返し人々に思い出させた。
一層また一層と敷き、一朝また一朝と演じられてきた。
ここまで来ると、一つの問いを避けることはできない。
なぜ「返本帰真」と「修煉」を説く文化が、「修煉」というものをますます理解できなくなった時代まで、延々と受け継がれてきたのだろうか。
答えは、まさにそこにある。
人がますます物質を信じ、ますます神から遠ざかり、目の前のこの一生だけを生命のすべてだと考え、「修煉」が何を意味するのかさえ理解しにくくなった時、五千年にわたって保存されてきた文化的記憶が、もう一つの意味を現し始めるのである。
それらは、長い道の途中に残された道標のようなものである。
道標そのものが帰路なのではない。
しかし、すでに遠くまで歩いてしまった人が、本当の分かれ道に立った時、それでも進むべき方向を見分けられるようにしているのである。
五千年の神伝文化は、世代から世代へと受け継がれる中で、修煉を理解し、帰るべき道を見分けることのできる文化的記憶を保存してきた。
儒家は修身と徳を理解させ、道家は返真と「帰」を理解させ、仏家は慈悲、覚悟、因果輪廻、生死の超越を人々の心に深く浸透させた。そして文学、歴史、神話は、天、善悪、因果、生命の帰宿についての言葉を世代を超えて保存してきた。
さらに深く見ると、儒・釈・道が残したものは、「修煉」という漠然とした概念だけではない。それぞれが、生命が上へ向かって高まっていく時に到達できる異なる境地を後世に示してきた。
道家は清静無為を説き、後天的な欲望や執着を取り除き、最終的に返本帰真することを説く。「真」という一字は、道家文化において極めて深い生命の内涵を持っている。
仏家は慈悲と善を修めることを重んじ、因果輪廻を説き、執着を放下し、衆生を普く済度することを説く。それによって、人は善念を絶えず広げた生命が、どれほど高い境地へ到達できるのかを見る。
儒家は人間社会に立脚しながら、修身、克己、守礼、成仁と、一段一段上へ向かわせる。人は得失、栄辱、人と人との関係の中で自分を律し、他者を寛容に受け入れることを学び、最後には君子、さらには聖人の境地を目指す。
「仁」の背後にも、克己と忍譲がある。人間社会の争いの中で真に仁徳を守り抜くこと自体、大きな「忍」を必要とする。
こうして振り返ると、五千年の文化には、さらに別の一層の伏線が見えてくる。
道家は人に「返真」とは何かを知らせ、仏家は「善」がどれほど広大な境地まで修められるかを知らせ、儒家は人間社会の中で絶えず人の克己、寛容、忍譲を磨いてきた。
それらを単純に「真・善・忍」と同一視することはできない。しかし、「真」「善」「忍」という文字が、中華文化の中ですでに深い生命経験を持つものとなる土壌を作った。それらは単なる抽象的な道徳概念ではなかったのである。
五千年の文化は、人類の言語、思想、道徳的経験、さらには生命の境地についての想像の中に、これらの内涵を理解するための基礎を築いてきた。
したがって、五千年の神伝文化によって育まれてきた民族は、実はすでに「真・善・忍」という三文字を理解するための文化的基礎を備えていたのである。
かつて異なる修煉の道、思想的伝統、人としての実践の中に分散していた生命の境地が、今日に至って、互いにつながり合う可能性を持ったかのようである。
五千年に及ぶ歴史の積み重ねは、単なる文化的な考え方を残しただけではない。それは、この民族がより高次の「生命の法則」を理解するための力を育んできたのだ。
そして、まさに伝統的な修煉文化から遠ざかったこの時代に、法輪大法が伝え出され、真・善・忍を説き、修煉と返本帰真を説いた。
五千年の神伝文化に育まれてきた民族にとって、それらはまったく聞き覚えのない言葉ではない。長い歴史の中に散らばっていた「天」「道」「徳」「善」「修」「返」「帰」、そして数千年間にわたる返真、修善、克己、忍譲、生命の向上についてのさまざまな実践が、今日に至り、再び互いに呼応する可能性を持ったかのようである。
それによって、真・善・忍が持つ内涵の広大さを、さらに理解できるようになる。
五千年の文化そのものは法ではない。しかし、人が法を理解するための言葉を準備してきた。
それ自体が帰路なのではない。しかし、帰路についての記憶を一路保存してきた。
五千年は過去のためだけに存在したのではなく、今日のために「法を理解できる」文化的記憶を保存してきたのである。
ここに至り、五千年間ひそかに流れ続けてきた伏流は、ついに今日へと流れ着いた。
四、神韻が再び扉を開く
まさにこの意味から神韻を改めて見ると、まったく異なる感覚が生まれる。
幕が開くと、雲霞の間に天国世界がゆっくりと姿を現す。音楽が響き、長い袖が翻る。漢唐の雄大な気風、塞外を吹き抜ける長風、江南の水景――一つ一つの王朝、一つ一つの物語が、五千年の歴史の奥深くから再び歩み出してくる。
そして、そうした人間界の光景の向こうには、中国人が数千年間親しんできたもう一つの天地がある。
雲海と仙山、洞天福地。その間を仙人が行き来し、まるで道家文化における清静で超然とした、返本帰真することのできる世界が、再び人の目の前に現れたかのようである。
古人にとって仙境とは、単なる文学的想像ではなかった。「修道成仙」「返本帰真」と同じように、生命は塵世を超越し、より高い境地へ帰ることができるという認識を保存していたのである。
そのため、神韻の舞台における天上と人間界は、互いに断絶した二つの世界ではない。
仙境は上にあり、人間界は下にある。神仏が世に下り、生命は人間界で悲歓、選択、磨煉を経験する。そして人の目は、何度も再び天へと向けられる。
五千年文化の中でかすかに見え隠れしてきたあの天への道が、こうして抽象的な文字や伝説から、再び目で見ることのできる光景へと変わるのである。
もし古代の衣冠、舞姿、物語を復元するだけなら、それはまだ文化の「形」を復元したにすぎない。
本当に難しいのは、精神的背景を失った文化の形式に、もう一度「神」を取り戻すことである。
神韻の舞踊劇『観画入境』は、この問題を意味深い舞台表現へと変えている。一人の古代女性が偶然の機縁によって絵の中へ入り、絵の中の人物たちと出会う。
舞踊劇が描くのは古人の物語である。しかし、今日の観客にとって、この「絵の中へ入る」というイメージには、もう一つの意味があるように見える。
すでに伝統の外側に立ってしまった現代人が、再び自らの文明の中へ入っていくのである。
前にこう述べた。
絵は残っていても、人はもう、その中へ入れない。
神韻が行っていることは、まさにこの扉をもう一度開くことである。
その中へ入って目にするのは、何着かの古装や、いくつかの楼閣だけではない。衣冠の背後にある「礼」、読書の背後にある「修身」、山水の背後にある「天地」、人と人との間にある節度、そして天地の間における人間本来の位置である。
したがって、伝統の中へ本当に入るとは、古装を一着身につけることでも、古建築を一棟再建することでも、現代人の思想を古代の物語の中へ入れることでもない。
本当に入るとは、伝統文化を読み解くことのできる「目」を再び取り戻すことなのである。
これこそ、神韻が一般的な「復古」と異なるところである。
復古とは、過去を復元することである。
回帰とは、自分がどこから来て、どこへ帰るのかを再び見つけることである。
神韻は、現代人を唐や宋の時代へ戻そうとしているのではない。古人と同じ生活をさせようとしているのでもない。
舞踊、音楽、色彩、衣装、伝統的な物語を通じ、すでに遠いものとなった文化の言葉を、再び目で見、耳で聞き、心で感じられる生命の光景へ変えることで、今日の人々にもう一度理解させようとしているのである。
古人はなぜ天を敬ったのか。
なぜ徳を重んじたのか。
なぜ神仏を信じたのか。
なぜ身を修めたのか。
そして、なぜ返本帰真を絶えず求め続けたのか。
こうして過去、現在、未来は、さらに深い一本の線によって再び結ばれる。
五、文化を再び人の中に生かす
しかし、一つの文化を本当に復興させるには、扉を再び開くだけでは足りない。
文化は最後には、人によって担われなければならないからである。
衣冠は複製できる。建築は再建できる。楽器も復元できる。舞踊の動作も訓練できる。
しかし、その精神を担うことのできる人がいなければ、最後に復元されるものは、やはり美しい外殻にすぎないかもしれない。
最も復元することが難しいのは衣服ではなく、その衣服を本当に着こなせる人である。
礼儀ではなく、なぜ礼が必要なのかを心から理解している人である。
美しい動作の一式ではなく、その動作の背後にある人の心性、気度、生命状態なのである。
中国古代の礼楽文化も、舞踊を単なる身体技術とは考えなかった。『礼記・楽記』にいう「楽」には、音楽、舞踊、礼儀そのものが含まれている。
その考え方に沿えば、礼・楽・舞は三つの側面から、一つの完全な芸術世界を共に形作っている。
礼はその位を定め、楽はその心を和し、舞はその徳を形にする。
礼によって人と人はそれぞれの位置を知り、進退に秩序が生まれる。楽によって互いに違いながらも調和できる。そして舞によって、本来目には見えない徳と精神が、人の身体、表情、歩み、進退を通して、目に見える形となる。
『楽記』が『大武』について語る時、人の堅固さ、奮発する精神、天下を治める気象までも、楽舞の姿勢や隊列によって表現できるとする。
したがって舞とは、単に身体が動くことではない。
身体そのものが、精神の言葉になるのである。
この角度から神韻を見ると、舞台上の多くのものがさらに深い意味を持つようになる。
人物がなぜそのように立ち、そのように歩くのか。君臣、父子、師弟、男女の間で、なぜそれぞれ異なる振る舞いと節度があるのか。これが「礼」である。
音楽と舞踊が互いに呼応し、異なる人物、色彩、動作が最後には一つの完全な境地へ溶け込んでいく。これが「楽」である。
そして忠、義、慈悲、端庄、勇毅といった本来目には見えない精神が、俳優の眼差し、身法、姿勢、舞台全体の気象を通じて姿を現す。これが「舞」である。
礼は形に秩序を与え、楽は心に和をもたらし、舞は徳を形にする。
したがって、神韻が本当に復元しているものは、失われ、あるいは薄れてしまったいくつかの舞踊形式だけではない。
さらに深いところでは、中国伝統芸術が本来持っていた「形と神が呼応する」状態を再び現しているのである。
一つの動作が美しいのは、線が美しいからだけではない。一人の人物が人の心を打つのも、物語が波瀾に富んでいるからだけではない。
その奥へ本当に入れば、形の背後には心があり、心の背後には徳があり、徳はさらに高い精神的基準へ向かっていることに気づく。
古人は楽によって徳を見た。
神韻は純善純美によって、その徳と精神を再び人が見、聞き、感じられるものにしているのである。
この角度から見ると、飛天芸術学院と飛天大学が示す教育方法は、中国古代の書院を思わせる。
伝統的な書院が育てようとしたのは、単に本を読み、試験を受けられる人間ではなかった。経典、師友、環境、日常生活、そのすべてが最終的には一人の人間を形作り、学問を本当に生命の中へ入れるために存在していた。
多くの神韻芸術家にとって、真・善・忍もまた、単なる舞台上のテーマではなく、修煉の中で自らに求める基準である。
そのため伝統文化は、単に研究し、模倣し、表現する対象ではなく、どのように人として生きるのか、どのように心を修めるのかという実際の生活へ入っていく。
こうして伝統芸術は、再び古い一つの道へ戻っていく。
まずその心を修め、その後に芸に現れる。
中国人は古くから、人の内面の状態がその作品へ入り込むことを知っていた。
「書は人なり」。書が深まれば、筆墨の中にはその人の心性が現れる。画が深まれば、山水の間にもその人の境地が現れる。
同じように、舞踊家の内面も、眼差し、振る舞い、身法、舞姿を通して自然に表れる。
だから観客が感じ取るものは、時に動作がどれほど美しく完成されているかだけではない。その動作の背後にいる人間が表す精神的な力なのである。
『観画入境』というイメージも、ここでもう一つの意味を持つ。
神韻は観客を再び「絵の中」へ導くだけではない。
自らが「絵の中の人」となり得る人を育ててもいる。
復元しているのは、古人の衣冠と舞姿だけではなく、その衣冠を身につけ、その神韻を舞うことのできる人である。
そうした人が再び現れた時、礼は単なる礼儀作法ではなくなり、衣冠も単なる衣服ではなくなり、道徳も壁に掲げられた古訓ではなくなる。
なぜなら、それらの形式に本当に生命を与えるのは、それを担う人だからである。
人の心性、気度、精神状態が戻れば、文化の「神」もまた、その「形」の中へ戻ってくる。
したがって、伝統文化の本当の復興は、最後にはやはり「人」に行き着く。
破壊されたのが形と神であるなら、両者を再び出会わせるためにも、まずその文化を担うことのできる人が必要である。
文化は器物の中に保存することはできる。しかし、生きることができるのは人の中だけなのである。
六、純善純美はなぜ人の心を打つのか
伝統文化から長く隔てられてきた現代人は、どのようにして再びこの精神世界へ入ることができるのだろうか。
それは必ずしも理屈から始まるわけではない。
時にはむしろ、「純善純美」を感じることから始まる。
音楽が響き、長い袖が優美に舞い広がる。舞台上の色彩、所作、調べ、そして背景のスクリーンが一体となり、清らかで調和に満ちた、光あふれる世界を織り成している。
人が最初に感じるものは、多くの場合、何らかの概念ではなく、一つの「美」である。
しかし、その美は単に視覚的に美しいというだけではない。
そこには善があり、純粋さがあり、人の心を自然に静めるような力がある。
中国の古人はすでに、最高の芸術とは決して人の耳目を楽しませるだけのものではないことを理解していた。
『礼記・楽記』には「楽者、徳之華也(楽は徳の華なり)」とあり、また「大楽与天地同和(大楽は天地と和を同じくす)」とある。
楽は人の内心から生まれるため、人の徳を表すことができる。そして本当の楽は、再び人の心へ入り、その感情、好悪、生命状態に変化をもたらすことができる。
そのため古人は「楽」を単なる音とは考えず、音楽、舞踊、人の心性、天地の和を互いにつながったものとして捉えていた。
春秋時代、呉の公子・季札は魯国を訪れ、「周楽(注1)」を観た。
彼は詩を聴き、舞を観ながら、単に旋律や動作を見分けていたのではない。楽を通して風俗を見、政治を見、聖王の徳を見ていた。
そして舜の楽舞『韶箾』を観た時、その徳の広大さに感嘆し、「天の覆わざるなきがごとく、地の載せざるなきがごとし」と感じ、ついに「観止矣」と語った。
「観止」とは、舞踊技術にこれ以上のものがないという意味ではない。
本当に楽を知る人が、楽舞の中から聖王の徳を見、その徳を通して天地と通じる一つの境地を見たのである。
この故事は、中国伝統芸術を理解するための一つの鍵も残している。
本当の「観」は形にとどまるのではなく、形から神を見る。
本当の「楽」は音にとどまるのではなく、楽から徳を見、徳から天へ通じるのである。
神韻が表しているものは、古代の『韶』楽における聖王の徳だけではなく、特定の古代礼楽形式を単純に復元したものでもない。
舞踊、音楽、色彩、物語、そして芸術家自身の生命状態を通して、真・善・忍という宇宙の最高法則の精神を表している。
こうして、古代礼楽文化が人々に残した「芸術を通してより高い内涵を見る」という能力は、ここで新しい意味を持つ。
古人は楽によって徳を見た。神韻は純善純美によって大法を顕す。
なぜ、ある美はただ人を楽しませるだけなのに、別の美は人の心の奥深くを揺さぶり、時には自分でも説明できないほどの感動を生み出すのだろうか。
それはおそらく、本当の純善純美が、人の美的感覚だけでなく、人の善念と生命の本性にも触れるからである。
芸術が欲望を刺激し、感情を発散させることを目的とせず、純粋さ、善良さ、荘厳さ、光明を表す時、人はそれを前にすると、自然と心が静まっていくことがある。
その感動は、必ずしも最初から理解によって生じるものではない。
むしろ生命の中にもともと存在していた何かが、そっと触れられたようなものである。
これは前に述べた「まずその心を修め、その後に芸に現れる」という考えともつながっている。
一人の人間の内面状態が芸術へ入れば、芸術はもはや形式だけではない。
人の心性が純粋になり、善意が眼差しに入り、修養が振る舞いに入り、内なる精神状態が舞う姿、音楽、舞台に自然と現れる時、観客が感じ取るものも、技巧そのものだけではなく、その技巧の背後にある純善純美の生命状態となる。
もし人の生命が本当に天から来たのなら、このように高みを指し示す純粋さ、荘厳さ、光明が再び目の前に現れた時、生命の奥深くに言葉では言い表せない懐かしさが生まれるのかもしれない。
かつて見たことがあるような。
長い間そこから離れていたような。
遠い異郷を何年も旅してきた人が、突然、故郷の声を耳にしたような。
こうして純善純美が触れるものは、もはや美的な喜びだけではなく、さらに深い「記憶」となる。
それは頭の中にある特定の王朝についての知識ではない。
生命の深奥にある、自らがどこから来たのかについての記憶である。
神韻は再びその扉を開き、純善純美は長い間扉の外に立っていた人に、もう一度その中へ入りたいという思いを生じさせる。
しかし、絵の中へ入ることは、まだ帰路の終点ではない。
七、帰るべき道が再び現れる時
こうして五千年を改めて振り返ると、かつて互いに散らばっていたものが、次第につながっていく。
なぜ中国人は数千年にわたって天を仰ぎ続けたのか。
なぜ文化の中で「道」と「徳」がこれほど重んじられたのか。
なぜ詩歌には、月、雲、仙山、「帰去」がこれほど多く登場するのか。
なぜ修煉文化は、中国人の生命観の中へこれほど深く入り込んだのか。
なぜ『西遊記』では必ず九九八十一難を経験しなければならなかったのか。
そしてなぜ、これらの文化は巨大な破壊を経験しながらも、最も根本的なものの一部を今日まで残したのだろうか。
それは、この五千年が本当に残そうとしていたものが、決して過去だけではなかったからである。
そこには、生命の来たところと帰るところについての記憶が保存されていた。
中共によって引き起こされた文化的断絶は、人とこの記憶とのつながりを断ち切った。
神韻は神伝文化の「形」と「神」を再び表し、純善純美によって長い間眠っていたその記憶を呼び覚ます。それによって、すでに伝統の外側に立ってしまった人に、再び自らの文明の中へ入る可能性を与える。
しかし、かつて一本の道があったことを思い出すことと、すでに帰路を歩んでいることとは同じではない。
道標は人に方向を教えることはできる。しかし、人に代わって歩くことはできない。
文化は「修煉」が何を意味するのかを理解できるようにし、美は生命に再び天上の故郷からの呼び声を聞かせる。
しかし、一つの生命がどのように返本帰真し、自らの来たところへ帰るのかという本当の問題は、最後にはやはり法と修煉にかかっている。
ここに至って、この三つの関係が本当につながる。
文化は記憶を保存し、純善純美は記憶を呼び覚まし、大法は帰るべき道を指し示す。
こうして、五千年の神伝文化がなぜ今日まで歩み続けてきたのか、そしてなぜ今日、それを再びつなぎ直す必要があるのかにも、さらに深い意味が見えてくる。
歴史が今日まで歩んできたからである。
そして、人もまた今日へやって来たからである。
私たちは客席に座り、五千年の歴史を眺め、自分はただの観客だと思っている。
一つ一つの王朝はすでに幕を閉じ、一人一人の歴史人物もすでに舞台から退いた。
しかし最後まで見た時、もしかすると気づくかもしれない。
自分自身もまた、この歴史の中にいるのだ、と。
そうすると、一つの問いが静かに、今日を生きる一人一人の前に置かれる。
私は、なぜ今日という時代にやって来たのだろうか。
早く出会う人もいれば、遅く出会う人もいる。
すでに修煉の道を歩み始めた人もいれば、今なお複雑な人間社会の中で探し続けている人もいる。自分がいったい何を探しているのか、まだ気づいていない人もいる。
しかし、もし長い歴史が本当に今日のために何かを保存し続けてきたのであれば、今日に生きる一人一人が、改めて自分自身に問いかけてみる価値があるのかもしれない。
私はどこから来たのか。
この一生、なぜここへ来たのか。
人間界でのこの旅を終えた後、私はどこへ向かうのか。
五千年の文化は、後世の人々を過去へ連れ戻すために存在するのではない。
人間界をあまりにも遠くまで歩き、最も天を忘れやすくなった生命が、それでもなお天を見分け、創世主を見分けるための記憶を少しでも残しておくためにある。
五千年の歴史に散らばる「天」「道」「徳」「善」「修」「返」「帰」は、長い道の途中に残された道標のようなものである。
それらは長い歳月を越え、王朝の興亡を経験し、近現代の破壊と断絶をも経験した。それでも完全には消えなかった。
なぜなら、今日を生きる人々へ渡されなければならない記憶が、まだ残されているからである。
そして神韻が再びその扉を開き、一人の人間が五千年の文化に保存されてきたこれらの言葉をもう一度理解し、自分の来たところと帰るところを問い始めた時――
断ち切られた天への道は、再び人によって見いだされる可能性を持つ。
それは、人を過去へ戻す道ではない。
生命に自らの来たところをもう一度思い出させ、最後には帰るべきところへ向かわせる道である。
その道は天から始まり、人間界を通り、五千年の歴史を貫いてきた。
そして最後まで、なお天を指している。
長い間、忘れられていた――
自らの天上の故郷を。
【注釈】
(注1)周楽(しゅうがく)とは、古代中国の周王朝(西周時代)において確立された、宮廷の儀礼・典礼用の音楽や舞踊(礼楽)の総体を指す。単なる娯楽や芸術としての音楽ではなく、周公旦が定めた「礼楽制度(国家統治のための秩序や道徳体系)」の中核をなすものだった。周楽には、周自身の音楽だけでなく、黄帝から古代の聖王たちが定めたと伝えられる歴代の楽舞(黄帝の『雲門』、堯帝の『咸池』、舜帝の『韶(韶箾)』、禹王の『大夏』、湯王の『大濩』、周の武王・周公旦の『大武』)が含まれていた。
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