旅行に行くためではない。 休暇を楽しむためでもない。 家に帰るためである。 (Shutterstock)

祖先が帰る道――日本のお盆に息づく「仁」【日本の中の「仁義礼智信」14】

毎年8月、日本では不思議な光景が見られる。

高速道路は渋滞する。

新幹線は満席になる。

空港は人であふれかえる。

2026年のお盆期間には、高速道路で436回を超える渋滞が予測され、前年より91回増える見込みだと言っていた。新幹線の指定席予約は158万席に達し、切符を確保することさえ難しいほどである。

何百万人もの人々が、一斉に移動する。

旅行に行くためではない。

休暇を楽しむためでもない。

家に帰るためである。

家に帰って、あることをする。

祖先を迎えるのだ。

日本では、毎年お盆の時期になると、祖先の霊が家に帰ってくると考えられてきた。家族は仏壇に供え物をし、灯籠に明かりをともし、一緒に墓参りをする。祖先を迎え、そしてお盆の終わりには、再び恭しく送り出す。

これは迷信ではない。

毎年この時期になると、普段はそれぞれ別の場所で暮らす家族が、目の前のことをいったん置き、遠い道のりを越えて故郷へ帰ってくる。(Shutterstock)

目には見えない「つながり」を、大切に守り続ける営みなのである。

日本人はこれを「お盆」と呼ぶ。

お盆の起源は、仏教の供養の思想と、日本古来の「祖先が家族を見守る」という信仰が結びついて形づくられたものだ。それは単なる祝祭日ではない。生きている者と亡くなった者が、再びともに過ごす時間なのである。

毎年この時期になると、

普段はそれぞれ別の場所で暮らす家族が、

目の前のことをいったん置き、

遠い道のりを越えて故郷へ帰ってくる。

法律で決められているからではない。

会社に命じられたからでもない。

ただ、その時、

祖先が自分たちを待っているからである。

成田空港で足止めされた7000人の中にも、

お盆を故郷で過ごし、

そこから戻ってきた日本人が大勢いた。

彼らはつい先ほどまで、故郷の仏壇の前で、

線香をあげ、

手を合わせ、

すでにこの世を去った人たちと、

心の中で言葉を交わしていた。

そして荷物を手に、

混雑する新幹線に乗り、

再び都会の日常へと戻っていく。

現代人はよく言う。

「人は生きているのだから、前だけを見ればいい。

過ぎたことは、過ぎたこと。

亡くなった人は、もうここにはいない」

しかし日本人は、

毎年8月、

全国各地にできる大渋滞によって、

この問いに答えている。

違う、と。

過去を生きた人々は、消えてしまったのではない。

ただ形を変えて、今も私たちとともにいる。

だから私たちは、

彼らに会いに帰ることを忘れてはならない。

2500年前、孔子の弟子である子游が尋ねた。

孝とは何か。

孔子はこう答えた。

「今之孝者、是謂能養。

至於犬馬、皆能有養。

不敬、何以別乎。」

今の人がいう孝とは、

ただ父母を養うことだという。

しかし犬や馬でさえ、人は養う。

そこに心からの敬意がなければ、

いったい何によって区別できるというのか。

孝とは、物質的に養うことだけではない。

孝とは、心の中にある、

思いやり、

感謝、

そして忘れない心なのである。

お盆とは、

「孝」が最も具体的な形となって現れたものなのかもしれない。

壁に掲げられた文字ではない。

教室で教えられる道理でもない。

何百万人もの人々が、

毎年8月、

たとえ高速道路の渋滞に巻き込まれても、

それでも家へ帰ろうとする。

その行動そのものなのである。

古くから日本人は、一つのことを知っていた。

亡くなった人と、生きている人は、

本当の意味で離れ離れになったわけではない。

ただ、

向こう側へ行っただけで、

今もこちらを見守っている。

だから、生きている者は、

むやみなことをしない。

自分の根を忘れない。

かつて自分を愛してくれた人たちに、

顔向けのできないことをしない。

これこそ、日本社会に今も残る、

静かな秩序、

他者への気遣い、

人のものを取らない誠実さ、

そうしたものを支える、

最も深い理由の一つなのかもしれない。

誰かが見ていることを知っているからだ。

監視カメラではない。

法律でもない。

近所の人の目でもない。

すでに、

この世を去った人たちである。

毎年、お盆が終わると、

日本人は祖先を送り出し、

都会へ、仕事へ、

いつもの喧騒の中へと戻っていく。

しかし、その思いは、

お盆の終わりとともに消えるわけではない。

それは静かに、

一つひとつのお辞儀の中に、

一声一声の「いただきます」の中に、

そして、人のものを取ろうとしない、

何気ない一つひとつの行動の中に宿っている。

父母に孝行し、兄を敬い親しむこと。

それこそが「仁」の根本である。(Shutterstock)

仁は、孝から始まる。

孔子の弟子、有子はこう言った。

「孝弟也者、其為仁之本与。」

(『論語・学而篇』)

父母に孝行し、兄を敬い親しむこと。

それこそが「仁」の根本である。

根があってこそ、

枝が伸び、葉が茂る。

そしてそこから生まれるのが、

誰もいないホームで一礼する駅員であり、

拾った金庫を警察に届ける見知らぬ人であり、

瓦礫の中でも列をつくり、静かに順番を待つ普通の人々なのである。

彼らは皆、

同じ一つの根から育っている。

日本中が大渋滞する8月。

一見すれば、

ただの交通混雑にすぎない。

しかし、

その車に乗る人々が、

誰を迎えに行くのか。

誰に会いに行くのか。

そして誰に「ただいま」と伝えに行くのか。

それを知れば、きっと分かる。

何百キロにもわたって渋滞する高速道路を流れているのは、

車だけではない。

そこには、一つの民族が、

自らの「根」を振り返る、

年に一度の深い思いが流れているのである。

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