原因不明の疫病、モンゴルの家畜が大量死亡

【大紀元日本6月9日】モンゴル緊急状況総局は、モンゴルの中ゴビ砂漠省(Dundgovi)で、6月初めに起きた原因不明の疫病によって四百余りのが相次いで死亡したと発表。

新華社の報道によれば、モンゴル緊急状況総局の責任者は、6月に入ってから、中ゴビ省の二つの県で幾つかの牧畜民の牧場の羊に発熱、食欲不振などの症状が現れ、2-3日後に死亡したケースが相次いでいると報告した。現在、既に二十数箇所の牧畜民の羊の群れが感染していることを発表。しかし、人に対しての感染はまだ出ていないと話している。

当責任者は、緊急状況総局が既に専門調査団を現地へ派遣したと話し、今回羊が感染した菌は、炭疽菌ではないことが分かった。しかし、羊が死亡した原因についての調査結果はさらに数日間を要すると話している。

関係当局はこれらの地区に対して、車両及び人の出入り、家畜の流動を禁止するなど厳戒態勢を施し、疫病拡大を阻止しようと試みている。現在、モンゴルは各種の家畜を合わせて約二千八百万頭を有し、羊と綿羊が相当量を占めているという。

関連記事
2500年もの歴史を持つモンゴル相撲は、日本の相撲のルーツといわれています。日本の相撲では、見合って「はっきょい!のこった」の掛け声が丸い土俵に響きます。足を大きく振り上げて四股を踏み、大地の神々を請来して力士の体に栄光の加護を呼び込みます。
ロシアの国境と隣接するモンゴル最西端。この地では、小さな遊牧民のグループが、現在でもまだイヌワシを飼いならす伝統を守って生活しています。
旅順港閉塞作戦は、日露戦争(1904~1905)の初期において三次にわたって敢行された。 旅順港の入り口273mの細い水路に複数の古船を沈めて、ロシアの太平洋艦隊が拠点とする旅順港をまるごと封鎖する、という大胆きわまる
5千年前のモンゴルのピラミッド 2001年7月、中国の考古学者が、内モンゴル自治区赤峰市の四家子鎮で、今から5 […]
1979年から1985年まで、考古学者たちは相次いで遼寧省西部のカラチン左翼モンゴル族自治県東山嘴村と牛河梁村で、大型の祭壇や、女神殿、積石塚(小型ピラミッド)などの遺跡を発掘し、数多くの文物も出土しました。