インドネシア:火山噴火遺跡から、「アジアのポンペイ城」を発見か

【大紀元日本3月5日】米国とインドネシアの専門家からなる国際発掘チームは、インドネシアで史上最大規模の火山噴火によって、約200年近く消えていた「アジアのポンペイ城」と称される古代文化遺跡を発見した。

英国放送局BBCの2月28日の報道によると、インドネシア・スンバワ島タンボラ火山は1815年に噴火、10万人強が遭難した。同遺跡は、地元で20年間にわたって研究を重ねている米国ロードアイランド大学のハラドア・シクアソン教授、米国北カロライナ大学、インドネシア火山研究学会の考古学者らが共同で、2004年夏に6週間をかけて発掘中、発見したという。

考古学者らは遺跡から遺体二体が残留された家屋を発見したという。シクアソン教授は、「タンボラ遺跡は高い文化価値があり、非常に注目されている」「当時の人々の生活、家屋および文化が1815年のままに保たれているため、遺跡を完全無欠のままに保存し、今後の発掘は細心を期したい」と述べた。

シクアソン教授はBBCのインタビューに対して、発掘された文物からみれば、当時の人々は非常に裕福で、ベトナム人およびカンボジア人との繋がりがあり、言語も現在東南アジア地区に分散して使われているモン・クメール語と関連していると分析した。科学者らは、遺跡から発掘された青銅器陶磁器等の文物はインドネシア古代文化の研究に役立つとの認識を示した。

タンボラ火山は噴火した当時、マルク群島、ジャワ島、バリ島およびロンム島等を含み幅広い範囲が一瞬のうちに壊滅された。約1万人が高温を帯びた空気、火山灰および降りかかった砂利、火砕流に埋もれて死亡してしまったという。そして、相次いでの伝染病および大飢饉によって、死者が約11万7000人の大災難となった。

1815年4月のタンボラ火山噴火の影響で、大量の火山灰が舞いあがり長期間にわたって、空気中に漂っていたため、太陽の光熱を遮り、世界的規模の気温下降を誘発、翌1816年は夏季がなかったという。

シクアソン教授は、2007年にタンボラ遺跡へ戻り、木造宮殿(地下に埋もれているとみられる)を発掘する予定でいる。

関連記事
[ジャカルタ 18日 ロイター] - インドネシア議会は首都をジャカルタからボルネオ島のカリマンタンに移転する法案を可決した。スハルソ国家開発企画庁長官が18日明らかにした。 議会で「新首都は中心的な機能を持ち、国家のアイデンティティーの象徴であると同時に、新たな経済活動の中心になる」と述べた。 スハルソ氏は17日、新首都の名前は「ヌサンタラ」になると発表した。ジョコ大統領が選んだもので、「群島」
インドネシア最大の女性団体の1つであるDharma Wanita Persatuan(DWP)は、22年間にわたりケムハンと呼ばれる国防省に関連する支部を維持してきた。
[ジャカルタ 9日 ロイター] - インドネシア政府は9日、石炭輸出停止措置について石炭および関連業界との会合を再び開いた。業界関係者によると、政府側は国内発電所への石炭輸送上の問題を取り上げ、禁輸解除の決定には至らなかった。 インドネシアは、国営発電所の石炭在庫が危険な水準まで減少したとして、今月1日から石炭の輸出を停止。石炭相場は上昇した。 石炭業界団体の幹部によると、9日の会合では発電所に
[ジャカルタ 7日 ロイター] - インドネシアのルフット海事・投資担当調整相は、石炭の輸出禁止の原因となった電力の非常事態は終了したが、この分野の政策について7日も協議を続け、同日中に結論を出すと述べた。 CNBCインドネシアが伝えた。 インドネシアは、国営発電所の石炭在庫が危険な水準まで減少したとして、今月1日から石炭の輸出を停止している。
インドネシアのエネルギー・鉱物資源省は1日、国内発電所の石炭供給不足により、1日から31日までの1カ月間に石炭の輸出を禁止することを発表した。インドネシアの石炭輸出に依存している中国に対する影響が懸念されている。