【伝統文化】古人の婚姻に対する態度

【大紀元日本7月12日】北宋期の斉州(今の山東省一帯)に劉庭式という名の読書人がおり、字を徳之と言った。彼は科挙に合格して、密州で判事となった。当時、密州の長官であった蘇東坡は、彼を大いに賞賛し、その人格を敬い重んじた。

劉庭式は、科挙の試験に合格する前に、郷里の普通の家庭の娘と知り合い、婚姻の約束を交わしていた。結納金はまだ納めていなかったが。

科挙の試験に合格した劉庭式は、晴れて官僚となり、名士からも認められ、前途洋々たるものであった。しかしながら、くだんの許婚は、大病を患い、両眼を失明してしまった。許婚の家庭は百姓で、決して裕福ではなかったため、劉家に再度婚礼の儀のことを切り出すことなどできなかった。

友人たちの中には、劉庭式に「きみの許婚は失明してしまった。君自身の前途と将来の家庭のためにも、別の人を娶った方がいいよ。もしどうしてもあの家と婚姻関係を結ぶというなら、妹の方を娶ったらいい」と薦める者もいた。

劉庭式はこれに答えて、「私は、あの娘と婚姻の約束を交わしたときに、すでに心をあの娘に送った。彼女は今失明してしまったが、その心は変わらずきれいだ。私がもし当初の約束に背いたら、私の心は悪くなってしまうだろう。それに、人々はみんな老いてゆくもので、妻も年をとれば容色が落ちる。ただ、そうかといって、妻を若く美しい女に取り替えたりできるであろうか?人は誠信を守らねばならず、自己に心変わりがあってはならない」。

こうして、二人は結婚した。結婚後、劉庭式はこの失明した妻を精一杯愛し、夫婦仲むつまじく暮らし、数人の子供を儲けた。

蘇東坡はこの事情を知ると、劉庭式の行為に深く心を打たれ感動して、「劉庭式はまことに高尚な情操の持ち主だ!」と語った。

家庭は国家と社会の礎石で、この礎石は正しくなくてはならない。これが正しければ、その国家と社会は強固に安定し、繁栄する。婚姻は家庭の礎石であり、これが正しければ、家庭は仲むつまじくまとまり、活気に満ち溢れる。そして、人の情操と人徳はまた、夫婦関係の礎石であり、夫婦二人は、誠信、善良、互いを敬う心、互いを愛する品性がなくてはならず、それでこそ幸福で満ち足りた婚姻となりうる。結局は、人は心性が高まれば、自ずと善良で誠意があり、正直で寛容となる。それこそが大切なのだ。

古人の箴言も次のように言う。

「賎貧の交わりを忘れるべからず、糟糠の妻は見捨てるべからず」(後漢書)

「愛するものは愛される,与えるものは与えられる」(唐代の賢明な宰相・魏征)

「所謂卑しいものといえば……凡俗の情人であり、心よりも肉体を愛する人だ。彼の愛するものは不変ではない、従って、彼の愛情もまた永遠に不変というわけにはいかない。一旦肉体の容色が衰えると、彼は以前からの信義と誓いを捨ててどこかへ行ってしまう。しかし、優美な心を愛する人は違う。彼の愛情は始終変わらず、そのため彼の愛する対象もまた変わることがない」(プラトン

【明慧ネット】(http://www.dajiyuan.com)から転載